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ネアンデルタール人の貝料理/人間の情緒と詩/居抜き案件

目次

『ムール貝のネアンデルタール風』

貝(牡蠣)はRのつく月に食べろ、と言われていますね。

September, October, November——英語圏の古い知恵らしいけれど、シーザーが月をずらしていなかったらどうなんだろう、と微妙に考え込んだりします。考えたと言われる医師は逸話が多い人で、病人を崖から落として治した、などのエピソードがある当代一の「名医」だとか、実際に月をずらしたのはシーザーだけれど、その7月8月をシーザーとアウグストゥスの名前に改名したのは後世の人で、などユリウス暦の勉強をするハメになりました。

要するに気温の高い時期は貝(牡蠣)を避けろという意味です。岩牡蠣はOKなんですが。プランクトン由来だか忘れてしまったが、水温が上がると毒が増えますし、産卵後なので身は痩せます。

貝は逃げません。人類あるいはそれに似た動物にとっては貴重なタンパク源だったのは間違いないのですが、ちゃんと食べるのを我慢したのでしょう。

そんな生活の知恵のはじまりは11万5千年前、という話題が最近ありました。

地中海沿岸スペインのCueva de los Aviones、そこでネアンデルタール人が貝を採っていました。装飾用の貝が残されており、彼らが美意識を持っていた証拠とされる遺跡です。さて、そこで残された食用の貝殻を調べると——貝殻に含まれる酸素同位体が、そのときの水温を反映している——採取が晩秋から早春に集中していたことがわかりました。つまり夏には採っていないのです。

現在は約260万年前の更新世に始まった第四紀氷河時代です。11万5千年前は前回の間氷期の終わりころに相当し、ネアンデルタール人が激減していた頃に一致します。暖かい間氷期を生き抜くときに何があったのか、現生人類はまだスペインには登場していない。敵は主に自然でしょう。タンパク源として貝類を選ぶのは自然なことですが、ある程度の期間定着しなければ、貝を夏は避けるという学習はしないでしょう。装飾と言い、とても賢いことははっきりします。

ムール貝のネアンデルタール風は簡単な料理です。ムール貝の砂抜きをきちんと行い、ハシバミ、野生のエンドウマメ、カミツレなどと一緒に壺に入れ、火にくべて1時間待つだけです。

ネアンデルタール人は大規模な社会を作ることなく3-4万年前に消えていきました。私たちサピエンスはやたら大きな集団を作るから、彼らが吸収されたのだと表現する人もいます。気候変動によるのだ、サピエンスから持ち込まれた病気だ、などの仮説もありますが、現在はすべてひっくるめた複合要因なのだろうとされています。花粉症とか血栓症などの遺伝子は彼ら由来、なんて聞くと混ざらなくて良いのにと思う人もいるかもしれないけれど、良いじゃないですか。

彼らは道具を非常に発達させました。彼らが絶滅する時期までムスティエ文化と呼ばれる石器文化は維持されていました。Rのつく月を選ぶ感覚もある、装飾をする感覚もある、鋭い知性ももしかしたら彼ら由来なのかもしれませんね。

ムール貝のネアンデルタール風は僕が勝手に考えた架空の料理ですけれど、自然な塩味がして美味しいかもしれません。いつか作って食べてみたいものです。盛り付けも綺麗にしないといけませんね。

https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2531880123

https://www.nature.com/articles/s41467-025-56155-8#Sec3


THE COLON


STEM教育とかSTEAM教育という言葉がありますね。アクティブラーニングも似た言葉ですが「学生が自律して学ぶ」事を重視しています。数学や工学など理系分野で課題解決をしていく人々は「人から教わって何かをする」というタイプではなく、自分勝手にやる。そういう人材を育てるにはスポーツとか芸術が役立つとわかっていますので、最近の教育に取り入れられています。

比較神話学の祖であるジョーゼフ・キャンベルが「最も最初に学校で習う芸術は詩」となにかのインタビューで言っていた気がします。自分はその時膝を打って、「そうだ、子供に詩を教えることがなんと重要なことだろうか!!」と納得したのでした。お絵かきも芸術かも知れないのですが、やっぱり「詩」でしょうね。

ところが日本ではあんまり「詩」が重視されていない。教育しなくとも優れた詩人は沢山登場するので、文化的にはなんら問題ないんですけれど、子どもたちに芸術を教えるとか、スポーツを教えることは、その後に課題にぶつかった時にそれを乗り越える原動力になるので、他の学科と同じく大切だと僕は思いますし、だからこそもっとも原始的な芸術と言える「詩」との関わりを真剣に教えるべきなんじゃないか。

僕は宮本常一さんという民俗学者を尊敬しており、彼の温かい心はその文章や写真から伝わってくるのですが、彼を好きな理由の一つが万葉集をすべて諳んじていたところです。万葉集は4500首あり、天皇から民衆まで様々な人の心が網羅されていますから、それが理解できていると、あらゆる人の心に共感できるのでは、と思うのです。「忘れられた日本人」という衝撃的な内容の本があるのですが、彼が素直にインタビュー出来ているのは万葉集を背景にした日本人のマインドがあるからではないかと。

さて、詩に関して少し考えてみましょうか。「眠れない」という人がいたとして、今だとワールドカップがその原因かもしれませんし、その用に質問をしたら「いいえバレーボールです(フランスで行われているネーションズカップのことらしい)」と答えてくださった御婦人もおられるのですが、何か夢中になるものがあって寝不足になるというのも、心配なことではなくて、ちょっと素敵な事に思われます。

現在では人工知能のおかげでそのようなベクトル検索がとても楽になっていますから、寝不足を詠った俳句や詩を検索してみます。すると見つかりました。

名月や池をめぐりて夜もすがら 松尾芭蕉

貞亨3年(1686年:蛙飛び込む、の句もその年とされています)8月十五夜。芭蕉43歳の最も心身充実の時期、芭蕉庵にて月見の会を催した、とあります。素晴らしい月を楽しんでいたら夜が明けてしまった、という句です。

ジョン・ミルトンはイギリスでシェークスピアと並び称される17世紀の詩人です。「失楽園」という作品が有名ですが、1645年ごろ『沈思の人(Il Penseroso)』という詩を書いていて、その中にこういう一節があります。

真夜中に私のランプを、 高い孤独な塔に輝かせよう。 そこで私はしばしば大熊座よりも夜更かしをしよう。

これは若き日のミルトンが哲学や科学の思索で夜を明かした興奮を書いていますが、ヘンデルやリストはミルトンに影響を受けた作品を残しています。この沈思の人を分析してみると、以下のような悩みが描かれています。

① 拒絶・離脱 →現代人においては、SNS疲れ、情報過多からの逃避欲求
② 静寂への渇望 → 過労・騒音ストレス、「一人になりたい」
③ 夜への親和 → 不眠の肯定、夜型人間の自己正当化
④ 知的陶酔 → 学びへの没頭、研究者の孤独と喜び (今回引用した部分) ⑤ 未完への郷愁 → 完璧主義、やり残しへの執着
⑥ 老いと叡智 → 老後への不安と、経験知への希望

網羅的に当時の人々の悩みを詩にしていて、一世紀を越えて残る普遍性がありますね。このジョン・ミルトンの「沈思の人」は人々が持つ悩みの多くが書いてあるのですが、どちらかというと抑制的で抑うつ的でもありますが決して悲観的ではなく、理性的に捉えよう、納得しようと努力する姿があります。ミルトン自身非常に真面目でありながら、改革的な心を持っていて、人とは衝突してしまい、柔軟でありながら、芯は曲げない。政治的に対立する人からは批判されながらも、シェークスピアと並び称される知の巨人だ、という事が良くわかりますね。

芸術の事をレターには良く書いていますが、音楽やアイドルが好きだという気持ちも根っこは似ているので大切にしてほしいです。それは、人生で困難があったときにそれを乗り越えるためのスキルです。


居抜き案件

——トルコの発掘が埋める「化石の空白」と、ひとつの愉快な偶然

ときは約6万年前。その後4万年前に絶滅してしまうネアンデルタール人が退去した洞窟に、サピエンスが越してきました。

トルコ南部のウチャーズリII洞窟(スペインの洞窟でネアンデルタール人が貝を食べていた記事を書きましたが、かなり離れています)で、京都大学などの国際チームが二つのことを掘り当てました。

ひとつは、これまで化石がほとんど見つかっていなかった時代——約6万〜5万年前、つまりホモ・サピエンスがアフリカから出て世界へ広がった、まさにその頃——の人骨数人分です。この時代の化石は世界的に乏しくて、それが見つかったこと自体に価値があります。なぜならば、今までサピエンスはトルコのこの辺りを経由して世界に広がっていったんじゃないか、と言われているからです。

さらに面白いことに、掘り進めているとネアンデルタール人の化石も数人分見つかりました。つまり、サピエンスが住み着いたのは、少し前までネアンデルタール人が暮らしていた、同じ洞窟だったとわかったのです。だいたい5.9万年前を境に、住人が入れ替わっていました。

さらに面白いことがわかりました。発掘チームは4万点もの石器やら骨やらを収集し研究したのですが、2つの人類の暮らしぶりがよく似ていたことに気づきました。似ているどころではありません。同じ産地の石を、同じ方法で割り、同じ獣の同じ部位を持ち帰って食べていました。おまけに、食べられない小さな巻貝「アフリカタモト」をわざわざ拾い集め、穴をあけて身につけていたらしい点まで一致していたのです。洞窟内では約2万年以上の期間、主人が変わりながらこの暮らしの型は保たれたと彼らは推定しています。

なぜ、種の違う住人が、これほど似た暮らしを簡単に引き継げたのでしょうか。前の住人が地面に残した道具を拾って真似ただけ、と言うには、石を割る一連の手順まで揃いすぎています——研究チームはそう考え、二種のあいだに何らかの接触、つまり共同生活があったのではないか、いや、していてほしい、と願っています。直接の証拠はないのですけれど。というのも、ネアンデルタール人とサピエンスが交雑したのはトルコあたりじゃないか?と考えられているからです。ついにその証拠を見つけたぞ、と言いたい気持ちはわかるんです。

ここから先の年代の化石は、まだ発掘しておらず地面から出てきていません。両者が交雑していたことは、現代のサピエンスのDNAが語っています。忌々しい花粉症はネアンデルタール人の特徴に関連するのでは、とも言われているんです。この先の年代、例えば10万年前に一度サピエンスはアフリカを離れた、と言われていますが、もしも6万年よりも古いサピエンスの化石が見つかれば大発見です。

今回、その交雑の現場を貝が見せてくれたわけではありません。プロポーズに使ったわけでもないですし。それでも、食糧が死活問題だった時代に、食べられない貝の美しさに心を動かされる人々が二種、同じ洞窟にいた——その事実に、「交雑があったのかもしれない」という仮説を思いついてしまうロマンチックさこそ、考古学者が考古学者たる所以でしょうね。異なる時代の出土品を並べて眺められることは、この学問の面白みです。

化石のレプリカとアフリカタモトの実物は、7月14日から9月6日まで、上野にある国立科学博物館(地球館地下2階)で展示されます。夏休みになると大混雑の科学博物館の、さらなる目玉になるのは確実??かもしれません。

数万年前の彼らが拾った小さな貝を、確かめに行きたい人は急げ!!

上の地図は9万年前のサピエンス分布図ですが、これに両方の洞窟をプロットしました。

  • Cueva de los Aviones(スペイン・ムルシア/北緯37.59, 西経0.99)— ネアンデルタール人による貝殻装飾・顔料使用の遺跡ー黄色い★
  • Üçağızlı Cave II(トルコ・ハタイ県サマンダー/北緯36.00, 東経35.98)— 初期上部旧石器時代、貝殻ビーズ装飾のレヴァント遺跡ー赤い★ 出典:http://atlasofhumanevolution.com/HomoSapiens.asp