麻疹 / 村上春樹 / 暗殺者 / 自慢する友達
目次
【重要】麻疹(はしか)が発生しています
2026年4月現在、伊勢原市内および神奈川県内において麻疹(はしか)の発生が報告されています。
比較的多い問い合わせ
Q: 私は大丈夫でしょうか
以下の表の通りです。無防備な子どもたちを守るために、感染を広げない行動をとる必要があります。
| 年齢層 | 抗体保有状況の特徴 |
|---|---|
| 0歳(乳児) | 母体からの移行抗体が消失するため、ほぼ全員が無防備です。 |
| 1歳〜4歳 | 1回目のワクチン接種により抗体保有率は上がりますが、十分な免疫(EIA 16.0以上)を持つのは約50%程度に留まります。 |
| 5歳〜10代 | 2回目の接種機会がありますが、依然として「十分な免疫」を持つ割合が95%を下回る年齢層が目立ちます。 |
| 20代〜40代前半 | 最も注意が必要な世代です。ワクチンの1回接種世代や、自然感染もワクチン接種も経験していない「空白地帯」が含まれ、十分な免疫を持つ人は50%以下というデータもあります。 |
| 50代以上 | かつての流行により自然感染している人が多く、95%以上が高い抗体価(EIA 16.0以上)を維持しています。 |
Q: 発熱したら病院に行けばいいの?
いいえ。発熱、発疹、咳、結膜炎(目の充血)などの症状がある場合、麻疹が疑われます。この場合各自治体に担当病院がありますが、その前に市内医療機関でトリアージをしますから、近隣の医療機関に電話で問い合わせて下さい。
- 電話連絡の際にお伝えいただきたいこと:
- 現在の症状と経過
- 麻疹患者との接触歴の有無
- 麻疹の予防接種歴(母子手帳での確認をお願いします)
- 受診の際は、公共交通機関(電車・バスなど)の利用を避けてお越しください。
- 電話問い合わせをしていても、クリニック到着後は、中に入らず入口のインターホンや電話で到着をお知らせください。
Q: 神奈川県の制度・相談窓口
神奈川県では、麻疹の発生時に行動歴などを調査し、二次感染防止に努めています。
- 保健所への相談: 感染の不安がある場合や、受診先に迷う場合は、管轄の保健所(平塚保健福祉事務所 秦野センター等)へご相談ください。
- 健康観察: 万が一、麻疹患者と接触した可能性がある場合は、最大21日間の健康観察(検温)が必要です。
3. 麻疹(はしか)について
- 感染力: 非常に高い。
- 症状: 10〜12日の潜伏期間後、38℃前後の発熱や風邪症状が現れ、その後39℃以上の高熱とともに全身に発疹が出ます。
- 合併症: 肺炎や脳炎などを引き起こし、重症化する場合がある怖い病気です。
- 予防法: 1度罹患すると生涯遷らないとされています。2回のワクチン接種が最も有効です。
- 追加のワクチン:ワクチン歴が1回しかない方は、MRワクチン接種の対象になります。接触してから72時間以内にワクチンを投与することも有効とされ、対象者には保健所から連絡があるはずです。当院はMRワクチンの在庫がないので、対応は個別、限定されます。ご了承下さい。
評論文と村上春樹について
僕は高校の時に理系のクラスにいましたが、理系のクラスは数学が良く出来るのが普通ですから、周囲と比べてしまうと自己肯定感が育まれません。その代わり、国語は理系の中では点数が良かったので、それで自己肯定感を保っていました。それは小林秀雄などのややひねくれた評論文をそれなりに理解するのが得意だ、という意味でした。
かなり昔の日記にこんな文章があり、当時を思い出しています。
昨日(昨日じゃなくても構わないのだけれども)、高校生(高校生じゃなくても良いのだけれども、これは余計な情報だ)の国語の教科書の評論文(村上春樹)について、その内容を質問された。出題自体はそんなに難しいものでもなかったが、内容は村上春樹らしいもので面白かった。あまりにも当たり前の事を書いてあるので、高校生には難しかったのだろう。評論文だから彼の主張を一応書いてはあるけれど、基本的には丁寧にディテールを構築して読者に判断を委ねるのが彼のスタイルだから、「どん」とストレートに答えは書いていないわけで。でもこれって答えによって子供の背景がとても良くわかる非常に面白い問題だけども、点数をつける類の問題には使えないんじゃない?そう思ったりはした。小林秀雄とは違うじゃん。
村上春樹に似せたような文体で書いていますが、当時の評論文がなんだったか思い出せないので、生成AIに助けを借りながら、その内容を紹介したいと思います。
生成AIによれば、その高校生(あるいは誰か)が教科書で目にしたのは、おそらく「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」ではないでしょうか、とのこと。
AIが推測した作品:『自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)』
この文章の骨子は、おおよそ次のようなものです。
- 「自分自身について書いてください」と言われても、まともなことは書けない。
- しかし、「牡蠣フライについて書いてください」と言われれば、自分と牡蠣フライとの距離感や物語を書くことができる。
- その「牡蠣フライについて書いたディテール」の積み重ねの中にこそ、結果として「自己」が浮かび上がってくる。
まさに、「丁寧にディテールを構築して読者に判断を委ねる」スタイルそのものです。
なぜ高校生には「難しく」、点数がつけにくいのか
- 「答え」が空白であること 小林秀雄の評論文は、レトリックは難解でも、その奥には強固な「断定(あるいは美学)」があります。設問も「筆者の言う『真の美』とは何か」のように、論理の迷路を解けばゴールに辿り着けます。 対して村上春樹は、「答えは牡蠣フライの皿の隅っこに置いておいたから、あとは勝手に感じてね」というスタンスです。論理ではなく「構造」を提示しているだけなので、記述解答がどうしても「生徒の感性や背景」に依存してしまいます。
- 「当たり前」のゲシュタルト崩壊 「自分を語るには、自分以外の具体的なことを語ればいい」というのは、大人になれば(あるいは表現活動をしていれば)血肉化された真理です。しかし、正解のある教育を受けてきた高校生にとって、「自分について書かずに自分を証明する」という逆説は、あまりに煙に巻かれたように感じるのでしょう。
- 採点者の苦悩 仰る通り、これは「国語の点数」というより「その子の世界観」が出てしまう問題になりがちです。「牡蠣フライ(ディテール)が大事なのはなぜか?」という問いに対し、マニュアル通りの回答は作れても、村上氏が意図した「表現の豊穣さ」や「個の立ち上がり」まで採点基準に含めるのは不可能に近いですよね。
村上春樹の文章は、批評というよりも「思考の補助線」に近いのかもしれません。 小林秀雄が「そびえ立つ断崖」なら、村上春樹は「どこまでも歩けるけれど、出口が明示されていない森」のようです。
その高校生は、その森の中で「結局、何が言いたいの?」と途方に暮れていたのかもしれませんね。その戸惑いこそが、ある意味で村上春樹を読んだ正しい反応とも言えるのですが。
たぶん僕は高校生に「素直に思ったこと、感じたこと、それを言語化する作業を、教科書の編集者は期待して、村上春樹を採用しているのではないか」と言ったんじゃないかと思う。
まだ自己が固まっていない高校生が戸惑うのは当然であって、戸惑いが大きいことを文章に出来ればそれはそれで理想の答えになるのだし。
小林秀雄の文章を読んでも、「ああ、そうなのね」とは思うが「僕はこう」という実感は出てこない。時代も違うし、あなたは知識人ですからねえ、我々下々はなかなかです。そういう感想を持つ。
でも村上春樹のそれは「僕の場合は……」と考えられる卑近な題材がそこに用意されているではないか。何を思ったのか、その感想をしかし、我々は言語にする訓練を、小学校中学校で教育されてきているだろうか。何かのスタイルに当てはめるという訓練は受けているかもしれないが。「自分の言葉で」がなかなか難しいから国語は皆から嫌われるんだろう。その点、村上さんの言葉はその世界がちょっと近いような気がしないだろうか。
追伸:ただし僕は村上文学を全部読むほどのファン、ではないので、みなさんと本の内容の話は出来ないと思う。新作が出ますね。
世界最高の暗殺者はどのようにあなたに近づくのか
もっとも人を殺しているのは「蚊」であると言われています。
では彼らはどのようにあなたに近づくのか、それを真面目に研究した人々がいます。普通に考えれば「風下から」でしょうね。地上に近い高度でターゲットに、主に二酸化炭素や匂いセンサーを用いて近づき、そして至近距離では「黒い」ターゲットに吸い付く、こういうシステムが想像されます。実際はではどうか。
Predicting mosquito flight behavior using Bayesian dynamical systems learning
まずは研究手法から。
ベイズ推論。これは膨大な観測データから、関係するパラメーターを予測するための方法であり、これを利用してどういうモデルが蚊の行動をうまく表せるのかを数学的に解いていきます。
次に候補モデルを作りましょう。ネッタイシマカの飛行パターンを推測するためのデータセットを作ります。赤外線カメラを使って、閉鎖空間で50匹の蚊の飛行を0.01秒単位で記録して、5300万のデータを作りました。
次にその中に人を置くと、頭部に近づいていく事が示されました。金髪だとどうなんですかね?書いてませんが、普通に考えれば中国系研究者なので黒い髪の毛でしょう。まあ予測は出来ますね。
次に白い服と黒い服をだと、黒に近づいていきました。匂い関係ないそうです。これはちょっと予測と違いました。ただし実験室は「無風」だから当たり前かもしれません。
蚊は天井のそばではホバリングをするそうです。そうでない場合は0.7m/sのスピードで飛行する。ターゲットまで40cmの距離まで近づくと一旦スピードを落として「この黒いものが、自分のターゲットなのかしら」とじっくり観察をするのだそうです。匂いなどもここで重要だと思われます。二酸化炭素の濃度変化にはたいへん敏感で、すぐにそれをターゲットだと認識して0.2m/sまでスピードを落として吸血準備に入るようです。
全く視覚への刺激がない白いターゲットには65cmまでは接近する。黒のターゲットには40cmまで接近、二酸化炭素を発するターゲットには25cmまで、黒かつ二酸化炭素を発するターゲットには20cmまで近づいてぐるぐる回るんだそうです。
さてここまでが、普通の論文紹介です。WIREDなどのWeb誌では「へーすごいね」で終わりです。
しかし「匂い」「水」「温度」「紫外線」というパラメーターを考慮せずに「これで蚊の飛行パターンをあらわせ、新たな駆除方法のヒントになる」とは大げさではないだろうか、という疑問を持ちました。
それが実はこの論文の肝(MITなどのトップチームが関わっている理由)であり、将来パラメーターを増やしたとしても破綻しない工夫がなされているのです。
大学数学がわからない自分にもわかるように、この「数学的な魔法」の正体を生成AIに説明してもらいます。書いちゃってからMITのプレスリリースを見ると、さらっと触れてありまして、良かったです。
1. 「ブロック」で動きを組み立てる
当然蚊の複雑な動きをゼロから計算するのは大変です。そこで研究チームは、数学的な「基本的な動きのブロック(基底関数)」をたくさん用意しました。
イメージとしては、蚊の飛行という巨大な作品を、数千個のブロックの組み合わせで再現しようとするようなものです。数式で書くとこんな感じです。
式自体には大した意味がないですが、rという因子とvという因子があるとき、この時点でベクトルはこうですと表す基底関数(ブロック)がθμで表され、で重み付けをして、Σでそれを全部合計しています。
2. 「いらないブロック」を捨てる工夫「スパースモデリング」
普通なら、ブロックの種類を増やせば増やすほど、どの組み合わせが正しいか分からなくなり、計算がパンクしてしまいます。しかし、この研究で使われた「スパース(希薄)ベイズ推論」という手法は、そこが違います。
高次元の問題(変数や特徴量の数が多い問題)においては、ほとんどの変数はあんまり関係ない(スパース=疎である)と仮定して解くことが一般的かつ非常に有効であることがわかっています。
このアプローチはスパースモデリング(Sparse Modeling)と呼ばれ、現代のデータ分析や機械学習において、特にデータ数に対して特徴量が多い場合に強力な手法です。この文章を書くまで私は”Sparse”という言葉を半ば無視していたようです。認識してからというものやたらとこの言葉に出会っています。それだけ重要な、そして主流の考え方です。
今回も「本当に重要なブロック以外は、全部ゴミ箱に捨てて重みをゼロにする」という強力なフィルター機能が備わっています 。
- スパース性の魔法: 100個の可能性があるとしても、実際に蚊の動きを説明するのに必要なのが5個なら、残りの95個は計算から自動的に除外されます 。
- 結果として過学習を防ぐ: 無理やりデータに合わせようとして複雑になりすぎるのを防ぎ、「最もシンプルで効くルール」だけを選び出します 。
- 似た文脈で出てくる言葉が「バタフライエフェクト」でしょうか。複雑なカオス理論が支配する世界においても、スパースモデリングを用いれば、バタフライエフェクトを引き起こす真の容疑者を見極めることができるという事になります。
3. 「情報の断捨離」という最強のルール
さらに、このモデルにはBIC(ベイズ情報量規準)という「厳しい審査員」も用意されています。
この審査員は、「ブロックを複雑にしても精度が少し上がるくらいなら、いっそシンプルなモデルの方が偉い!」という基準でモデルを評価します 。
その結果、5300万もの膨大なデータから、最終的にはたった30個未満のパラメータだけで蚊の行動を説明できるモデルが完成したのです 。
4. なぜ将来も破綻しないのか?
ここがMITなどの研究者たちがこのフレームワーク(仕組み)を作った最大の理由です。
今後、「紫外線」や「特定の匂い」といった新しい要素(ブロック)をさらに1000個追加したとしても、このベイズ推論のシステムは「その中で本当に蚊の動きを変えている要素はどれか?」を自動で見つけ出し、関係ないものは再びゼロにして捨ててしまいます 。
つまり、このシステムは単なる蚊の研究ではなく、「複雑すぎる自然界のルールから、本質的な数個の真実だけを抜き出すための汎用的なツール」として設計されているのです 。こっちが論文の本質。
「難しいことを難しく計算する」のではなく、「膨大な可能性の中から、数学の力で究極にシンプルな答えを絞り込む」。数学という武器を使って世界最高の暗殺者を追い詰めるための現実的な答えを得ようとしたのが今回の論文。
ポリファーマシーやマルチモビディティなど、我々臨床家はとても複雑なモデルの構築に悩んでいますが、「引き算の美学」ともいえる数学の手法、ちょっとカッコいいですし、オッカムの剃刀を実現させうる解答として注目せざるを得ません。

自慢する友達がいる、というだけで人はすこし強くなる
ある日の会話
ある日、研修中の学生Aさんと話していた。
「Aさん。あなたは、観察力や発想が非凡です。あなたの将来のことを、僕は全然心配してない」 「……そうでしょうか」 「もしかして自己評価、低め?」 「よく言われます」
よく言われます、と返してくる時点で、自身の自己評価の低さを正確に把握しているのは分かる。そもそもその答え方が賢い、という自己矛盾がおきている。しかし直そうにも難しいと自覚していることが彼の困っているところで、そこは僕にも覚えがあるから、茶化さないように気をつけながら、こう続けた。
「簡単な方法、教えようか」 「はい」 「友人を、自慢する」 「……はい?」
Aくんは早い頭の回転で内容を処理し、他人を自慢することと自己評価とは切り離すべきではないか、と考えたのだろう。おそらく、この人はまた変なことを言い出したぞ、と身構えたのだと思う。実際、変なことを言い出したのは間違いない。けれど僕としては、それなりに本気である。
「僕がよく、あの先生がすごい、この先生もすごい、みんな友達、うちの父親もまあまあすごい、って言うでしょう、もちろん内容は彼らの実績や発見したことなんだけれど、実績や発見そのもの以上に人物を強調していると思います」 「……そうですね」 「あれは単なる彼らの実績紹介ではなく、要はすごい友人がいるんだと自慢をしている側面がある」 「はあ」 「自己評価をいきなり高くするのは難しい。自分のことを認めるには10年単位の時間が必要だというのは僕自身実感しています。それは、今のところは仕方ない、ということにしよう。でも、友人の評価をいくらでも上げる、というのは、今この瞬間からできるよね?」 「……できると、思います」 「今、あなたの脳に、すごいなって思える人何人か思い浮かんだでしょう?」 「……はい」 「よろしい。友人の自慢って、不思議なことに、自分ごとになります。あの人がすごい、と語っているうちに、そのすごい人と並んで立っている自分のことも、ちょっとだけ信じられるようになる。つまり、自己評価が高くなる」 「……あぁ、なります、ね、たしかに」
Aくんの「たしかに」は、半分くらいは僕への気遣いだったと思う。でも残りの半分は、たぶん、本人にとっても少し意外な発見だったはずで、そこは見ていてうれしかった。
僕は教育者という立場にいる。同時に、医者でもある。そしてこの二つの立場は、似ているようでいて、決定的なところで違う。ヒポクラテスの誓いに、医師は患者を診る人であると同時に後進を教える者でもある、という趣旨の一節がある。だからこの二つの切替は、いつでも気にしておかないといけない。
教育の現場では、その人の能力を伸ばすために、「少し無理をさせる」必要がある。これははっきりしている。手取り足取り、できることだけをやらせていても、人は伸びない。一段高いところに足をかけさせて、その不安定さの中で踏ん張ることでしか、筋肉のつかない場所がある。
一方で、医者としての自分はもう少し慎重だ。目の前の患者さんが「今は保護されるべき場面」なのか、「少し無理をしてもらうべき場面」なのか、その見極めをしてから振る舞いを変える。後者の振る舞いは、教育者としての自分とよく似ている。医療で「少し無理をさせる」場面の典型は、リハビリだ。
ただ、教育であれリハビリであれ、難しいのは、プレッシャーをかける上限を決めることだ。かけすぎれば折れる。かけなさすぎれば伸びない。そして、ここがポイントなのだけれど、自己評価が高い人、自己肯定感が高い人ほど、この上限を高く設定できる。だから、教育効果が上がりやすい。
つまり、自己評価が高いほうが、結果として、伸びる。
身も蓋もない結論だけれど、たぶん本当のことだ。
別の日の会話
この話を他の学生たちにしたとき、一人がやや慎重な声で、こう言った。
「でも、友達の自慢ばかりしている人って、ちょっと、うざくないですか」
なるほど、と思った。たしかに、うざい。
ただ、僕はその瞬間、これは反論というより観察としてとても誠実な発言だな、と感じていて、内心では少し笑ってしまっていた。「うざい」という感覚をきちんと言語化できる人は、たいていの場合、メンタルが弱くない。少なくとも、他人の振る舞いに対して自分の感情を言語化できているのだから。
だからその学生に対しては、こう答えてもいい、と思っている——きみは、誰かの厳しい意見を、忌憚なく受け止めて構わない側の人だよ、と。もちろん友人自慢をしている人々も、厳しい意見を受け止めるべき側にいる。
ここに、自己評価という話のもう一つの面白さがある。自己評価を上げる方便として友人自慢がある、という話の裏側で、「友人自慢、うざいですよね」と言える胆力もまた、それ自体がすでに、ひとつの自己評価の現れなのだ。
人を伸ばす側にいると、ときどきこういう瞬間に出くわす。教えるつもりで口を開いたのに、こちらが何かを受け取って終わる、という瞬間。
Aくんとはそれから会っていないが、放っておいても10年もすれば大人物になるだろうから、やはり心配はしていない。うざい、と言った彼は元気でいるようだ。
追伸:こんな話を日記に書いていた日付が、千葉雄喜さんの「チーム友達」がTikTokでバイラルになっていた頃で、自分も影響されていたのかなと思うと興味深いです。