批判的思考とウィット / 臨床的備忘録 / 片頭痛 / ライノウイルス / 医学部と教養 / 料理と著作権
目次
批判的思考とウィット
日本語では「批判的思考」と翻訳するので、なにやら「相手の言う事を否定しながら考える」という意味にとれてしまうが、英語だとクリティカルシンキングで、別に相手を否定することでは全然ない。
唐突に何を書いているのかというと、医者だってデタラメを言うかも知らん、と常に考えながら患者さんは聞いておいてほしいけれど、実際に大切なのは記録なんだということと、あとは批判的思考はウィットにつながる気がする、ということである。
外来で患者さんが紙を見せてくれた。記録なしに相談されることは危険なので自分は核心的な回答を避けるが、記録さえあれば自分の意見を十分表明できる。マイナンバーカードで受付して下さいというのも同じ理由だ。
今回相談してくれた女性は何度かクリティカルな状態を脱した事があり、自分としては次がないよう些細な変化に注意している存在である。その人の血液検査が5ヶ月でこう変化していた。総蛋白が6.9から6.7に。アルブミンが4.5から4.4に。
僅かな変化であり、アルブミンなんかとても良い数値である。赤い線が引いてあるが褒められたんだろか。
「これ赤線引いてあるけどなあに?これを変化あり、と捉えるわけ?」
「かなり激しい勢いで栄養が足らないと責められてしまいました。今もトラウマです」
え?このデータで栄養が足りないと解釈するのは自分的には完全に誤りである。しかし相手はそれなりの医師であるから、彼なりの解釈方法があるに違いない。それを検証してみよう。総蛋白からアルブミンを引き算すると2.4ないし、2.3であり、強いて言えばグロブリンがやや低いとは言えよう。しかし、だ。これは栄養状態とは関係ない話だ。あるいは総蛋白が6.9から6.7に低下しているのを栄養が足りないとしている?いやいや3%ですぜ旦那。全身の血液の量が100cc変わっただけでその程度の変化はでますよ?それともなにか?総蛋白が6台であることが気に入らないのか?いやいや6台だって、いくらでもいるじゃない。具体的な解決法なしに患者を責めるってどうなん?いくらその医師の考えに寄り添おうと思っても無理だわー。そんなことを思った。
「その先生はあなたを責めたわけ?」
「すごかったですよ。でもそういう先生なので気を使います」
「うーん……」
そういう先生って思われちゃっているのか。僕もGoogleの口コミで人格を疑われているらしいので、辛いな……。
「でも私が見る限りは、アルブミンという、身体づくりの基本になるタンパク質が立派な数字ですから、あなたの栄養のとり方は正しいですよ、とお伝えしたいところです。心配せずに」
「ありがとうございます」
「さらにわからないんだけど、中性脂肪のところ45で、ウキウキが不足ってメモがあるのはなあに?」
「ウキウキが足りないそうです」
その瞬間、頭に雷が落ちた気がした。総蛋白が6g/dL台で患者を責め立てることと、患者にウキウキを要求するギャップが共存している事が興味深い。彼も人間なんだといえばそれまでなのだけれど、医師として栄養に念持があるとか、あるいはこの医師なりに、患者にもっと楽しんでほしいと切に願っている、などの事があるかも知らん。とはいえ、患者に楽しみがあるかどうかも確認せず、ウキウキ不足と断ずることは同じ医師としては共感できない。
「この先生のご意見に賛成しようといくら考えてもだめだった。あなたは健康だと思います」と説明をした。
最初から批判しようとせずに、しかし反対意見も想起しながらあれこれ考えることが批判的思考/クリティカルシンキングである。面白いのはあれこれ考えていると時々冗談を思いつくので、ウィットと関係していると思う。父もそういう人で、たまに批判めいたことを言う毒のあるときのほうが面白かった。
最近Youtubeあたりで自らの御高説を垂れてしまう、レベルの低いお医者さんが多い。診察室レベルでは許されると思うのだが、Youtubeでそれか。まいったな。それを見た患者さんから質問を受け、あまりにも根拠がなさすぎ、しかし僕が言うと角が立つ。そこでChatGPTに「こういう話をYoutubeでなさっている先生がおられるようだが、根拠があれば示してほしいし、なければこのようなデタラメを考えついた経緯を予想して、患者さんに面白おかしく話してくれます?」ってお願いすると、「あーーーでたらめですね」と断じてくれるので便利にはなっている。
まあ、揚げ物とかアイスクリームを食べたり、アルコールも中性脂肪は上がるだろう。ウキウキしながらアルコールを飲んでるその医師を想像したら、ちょっと可笑しみがある。
あるいは酒が飲めず、22時すぎ家に帰る途中でミニストップがあって、そこでソフトクリームを食べることがウキウキなんだ!!とその医師が僕と似たタイプであれば、もしかしたら友達になれるかもしれないけれど、やっぱり無理かな。
だいたいわざわざそういう日の翌日に採血なんかするわけないじゃん?ある?そういえば、ときどき「昨日飲んじゃって」という患者さんがいて、チャーミングだ。それにもしかしたら先の先生からは褒められるかもしれない。
臨床的備忘録
Uptodateやコクランに偏らないように、つまり大規模な臨床試験ばかり勉強しないで日常から学会発表に触れておくことは大事でした。学会発表される発想は玉石混交で、もちろん便所の落書きレベルのものもある一方、自分の思考を拡張させてくれたりします。1998、1999年に米国のDDWに参加し、若いし時間があったので、遊ばずにすべての発表(網羅できたか自信はないけれど、抄録ではなくすべてのポスターを見ました)を勉強しました。するとその後10年、全く知識不足を実感せずに済んだ。というのもその後に発表される大きな変化の「芽」がすでにあったからです。
その後は勉強する時間がなかなか取れなくて、インターネットで学会ハイライトをざっと見るだけですが、それでも勉強になることは多い。そんな備忘録を紹介します。2022年を振り返ります。自分は勉強したことは日記に書いてますが、おすすめの方法です。
末期肝硬変で腹水穿刺後にアルブミンを投与しておかないと循環不全で乏尿になることがあります。そこで我々は一生懸命高価で貴重な血液製剤を投与するのです。しかし経済的、倫理的な問題も複雑になります。インドでの少数での研究ですが経口薬メトリジン(1錠10円ぐらいの薬だと思いますが、低血圧によく使われる薬です)がアルブミンと同様の効果があったとアメリカの肝臓学会(AASLD)で発表されていたそうです。確かにDOA(ドーパミン)を点滴で使うのと同じだなあと思い、また、インドは比較的既存テクノロジーの有効活用で面白い発想が多いなと思ってメモしました。こういうドラッグリポジショニングは、上手く行かないんだけど(臨床試験が行われないから)遠い将来は治験の方法が変化(リアルワールドデータが治験代わりになる)し、使われるようになるかもしれないので埋もれないと良いなあと考えました。
もう一つ、学会関係で興味を引いたのが、コレスチラミン(胆汁吸着剤:通常はコレステロールを低下させるのに使われる)が、顕微鏡的大腸炎の下痢に効果があったというメイヨークリニックの報告(ACG)です。聞けば「そうかもね」と思うけど、なかなかその発想出てこないし流石だなと思いました。その2年後に驚いた事がありました。今はあざみ野で開業してらっしゃる、当時伊勢原協同病院外科にいらした壁島先生が、消化器の勉強会で「胆汁性の下痢には、コレスチラミンですね、適応外処方だけど」とさらっと仰っていた事があります。しかも胆汁性下痢は診断が簡単で、「XPで一切ガスがない」と写真を見せてくださいました。壁島先生も相当天才ですから、なんで思いついたんだろうなんて考えずに納得してましたが、メイヨークリニックと似た発想です。
勉強してたことを日記に書いていると、時々、「なんか以前どこかで……」とテキスト検索し「あった!!同じだ!!」と楽しいのでお勧めします。自分はEveronoteと、Notionと、あとはFacebookに「公開範囲:自分のみ」にして適当に入れてます。
しかし学会、最近はポスターがデジタル発表になっています。みんながどうせ聞く「大切な発表」に自分は興味がありません。後年ガイドラインに入るし、あとで勉強するに決まってるので。だれも注目しないような、すみっこの発表が好きなのに、デジタル発表だと時間が限られてしまい、紙ポスターと比較すると頑張っても1/10ぐらいしかチェックができません。抄録じゃなくポスターの情報量が大切だと考えている自分にとっては「コスパ悪い」と思えてしまい、学会から足が遠のいた理由になっています。
ズキンときたら鎮痛薬…で良いのだろうか
頭痛がしたら、市販の鎮痛薬を飲む。 多くの人にとって、これは「普通」の対処法でしょう。薬が効いているうちは、特に大きな問題だとは感じないかもしれません。医療機関を受診したときに「何か病気になったことは?」と聞かれると、「いいえ特に」と答える人がほとんどです。同じように本人がそれと感じていないのは月経の痛みです。
したがって「月経の時には痛み止めを飲みますか?」「頭痛がしたときに薬を飲みますか?」とわざわざクローズドな質問を用意するほどです。
一方で「私は片頭痛です」という方もおられますが、それが本物の片頭痛であるかどうかは本人の理解度を確認せねばなりません。頭痛と片頭痛は違うものだ、という事は一般的な知識ではないようです。
私が医師になって30年以上が経ち、エルゴタミンからトリプタン、そしてCGRP抗体へと治療は進歩してきましたけれど、その概念は一般に浸透しているかというとそうではありません。群発頭痛という別の高いハードルも存在します。
人生で良い医師に出会えている人はともかく、積極的に相談し、かつ医師にある程度の知識がない場合には、頭痛に関する適切な診療は受けられないでしょう。最新の知識を導入として、まずは片頭痛を理解することで全体像を把握する助けになれば、という気持ちでこの文章を書いています。
片頭痛は「ただの頭痛」ではなく、脳全体に関わる複雑な「神経疾患」として理解されています。最新の研究でその本当の姿が解明されつつある今、頭痛との付き合い方を根本から見直すための手がかりを提供します。なぜ安易な自己判断が危険なのか、そしてなぜ専門医への相談が絶対に重要なのか。7つのポイントで解説します。あと2つは余談です。
1. なぜ「片頭痛」は特別で、専門家が必要なのか?
「片」という言葉からわかるように、右か左、片側が痛いのが片頭痛だ、という理解は間違いではありませんが、正しくもありません。症状がわかりにくい片頭痛もあります。今回扱っているのは「普段感じている頭痛」のことであって、それは「慢性」の頭痛だ、と理解してください。頭痛には「今回初めて」というものもあるでしょうが、それは「急性」の頭痛であり、別に扱うべきです。わかりやすいホームページがありますからまずはそれを紹介します。国際頭痛分類 第3版に沿って解説されており、標準的な知識が網羅されています。
人工知能時代ですから、ダウンロードできる知識を元に、整理して理解することも可能です。
頭痛の診断の難しさも浮かび上がってきます。
- 「肩こり頭痛」だと思っているケース 片頭痛患者の多くは「首のこり・痛み」も経験します。これを「肩こりからくる緊張型頭痛だ」と自己判断し、マッサージや鎮痛薬でごまかしているケースは非常に多いです 。
- 「副鼻腔炎(蓄膿症)」だと思っているケース 「鼻の奥が痛い」「顔が圧迫される」という症状も、片頭痛でよく見られます 。耳鼻科に通っても治らない場合、原因は鼻ではなく脳にあるかもしれません。
これらはほんの一例です。誤解してほしくないのですが「肩こりがしたから片頭痛でしょうか」と医者にかかるのは、期待する結果を生みません。網羅的に様々な症状があるのに、そのうちの「肩こりだけ」とか「鼻だけ」に注目する人々がいる、という事です。様々な方向から問診をしてくれる医師に出会う、など運の要素も絡みます。自分で診断を決めることは運を最大化しない、という事です。
「ただの頭痛」と「専門的な治療が必要な片頭痛」を正確に見分けることはなかなか難しい。頭痛専門医には可能でしょうが、プライマリ・ケア医に出来るかと言うと……。ましてや自己診断では正しい治療への道を遠ざけてしまいます。
2. 治療の第一歩:「頭痛日記」がすべてを解決する
あなたが専門医を訪ねたとき、最も感謝される「お土産」は、「頭痛日記」です。
正確な診断と治療のために、最低限、以下の情報を記録してください。
- いつ起きたか(日付と時間)
- どのくらい続いたか(例:6時間、2日間など)
- 痛み方(例:片側、ズキンズキンと脈打つ)
- 痛みの強さ(10段階評価)
- 他の症状(吐き気、光や音への過敏)
- (重要!)痛みの前に起きたこと(後述する「予兆」らしきものがあったか)
- 飲んだ薬と、その効果
この日記こそが、あなたの頭痛の「設計図」です。これがあれば、専門医はあなたの頭痛のタイプを正確に診断し、MOHの危険性を察知し(後述)、最新の治療法を提案できます。
3. 最も避けたい「薬の飲みすぎ」という悪循環
頭痛に悩む方にとって、最も陥りやすく、かつ深刻な問題が「薬剤の使用過多による頭痛(MOH)」です 。
これは、市販の鎮痛薬や処方された急性期治療薬(トリプタン系薬剤など)を月に10日(または15日)以上のペースで飲み続けることで、脳が痛みに過敏になり、「薬そのものが次の頭痛を呼び込む」という最悪の悪循環です 。
MOHになると、薬は効きにくくなり、頭痛はほぼ毎日続くようになります。「痛いから飲む」が「飲まないと痛い」に変わってしまうのです。「とりあえず薬で抑える」という自己判断は、この危険な罠につながっています。そうなる前に、専門医の管理下で「予防治療」(頭痛が起きないようにする治療)に切り替える必要があります。
4. 【最重要・誤解注意】最新研究が解き明かす「発作の全貌」
ここが、片頭痛の理解が最も進み、そして最も誤解されやすいポイントです。
最新の研究は、「片頭痛発作は、痛みが始まるずっと前から始まっている」ことを示しています。
頭痛が始まる数時間(時には1〜2日前)から、「予兆(よちょう、Prodrome)」と呼ばれるサインが出ることがあります。これには、「疲労感」「あくびが何度も出る」「首のこり」「イライラする」「特定の食べ物が欲しくなる」といった症状が含まれます 。
ここで最も重要な注意点があります。あくび、疲労感、首のこりは、誰にでも起こる非常にありふれた症状です。これらの症状が『ある』からといって、あなたが片頭痛であるということには『なりません』。
専門家がこれを「片頭痛の予兆」と判断するのは、これらの症状が「あなた個人の決まったパターン」として現れ、その後に「高い確率で(例えば8割以上)頭痛が続く」場合のみです 。
診断の鍵は、「今日あくびが出た」ことではありません。 「私の場合は、理由もないのに生あくびが止まらなくなると、その3時間後に必ず右側が脈打つ頭痛が始まる。このパターンを日記で確認した」という、症状と頭痛の「再現性のある関連性」です。
このパターンは、発作が脳の「司令塔」である視床下部(ししょうかぶ)で始まっている証拠だと考えられています 。私たちが「痛み」として感じるのは、この脳のイベントが連鎖反応の最後に三叉神経を興奮させ、CGRPという「痛みの原因物質」を放出させた「結果」なのです。
5. お子さんの「腹痛」や「嘔吐」も、その仲間かもしれません
片頭痛は、特に小児期において、頭痛以外の形で現れることがあります 。
- 周期性嘔吐症(CVS): 健康だった子が、突然、激しい嘔吐を何時間も繰り返し、またケロッと治る。これを周期的に繰り返す病気です 。
- 腹部片頭痛(AM): 頭痛はなく、おへその周りを中心とした激しい腹痛が発作的に起こります 。
これらは「片頭痛等価症(へんずつうとうかしょう)」と呼ばれ 、成人でいう片頭痛発作と同じメカニズム(脳幹や自律神経、脳と腸をつなぐ機能の不調)で起きていると考えられています 。
こうしたお子さんの多くが、成長するにつれて典型的な片頭痛を発症することが知られています 。もしお子さんが原因不明の腹痛や嘔吐を繰り返している場合、「お腹の風邪」ではなく、片頭痛の専門知識がある小児科医や頭痛専門医に相談する価値があります。
6. 医師を困らせないために:「質の高い情報」とは何か
#4で述べたように、片頭痛の症状は非常に紛らわしいため、「解像度の低い」情報では専門医も診断に困ってしまいます。
- 解像度の低い情報(診断が難しい): 「なんだかいつもだるくて、首もこるし、時々頭が痛くなります。」 (→これが片頭痛の予兆なのか、単なる疲れや緊張型頭痛なのか、区別がつきません 。)
- 解像度の高い情報(診断に役立つ): 「(日記を見せながら)月に8回頭痛があります。痛みは右側で脈打つように痛く、10時間続きます。吐き気がして、暗い部屋で寝込むしかありません。そして、日記をつけた結果、その頭痛が始まる半日前に、必ず理由のない激しい疲労感とあくびが出ることに気づきました。」
「あくび」という症状そのものはノイズ(無関係な情報)かもしれません。しかし、「頭痛の前に必ずセットで現れるあくび」というパターンは、専門医にとって強力な診断のシグナル(手掛かり)となります 。#2の「頭痛日記」が重要な理由は、まさにこのパターンを見つけるためなのです。
7. 不確かな情報を広めないために
片頭痛は複雑な神経疾患です。「このサプリで全員治る」「これを食べれば大丈夫」といった単純な情報には注意してください。
確かに、CoQ10(コエンザイムQ10)や特定のビタミンB群(B2, B6など)は、脳のエネルギー代謝をサポートする目的で、一部の患者さんの「予防治療」として専門医から推奨されることがあります 。しかし、これらはあくまで治療計画の一部であり、万能薬ではありません。
「ただの頭痛」と我慢したり、自己流の対策で悪化させたり(#3)、不確かな情報に振り回されたりしないでください。
あなたの生活を取り戻すための第一歩は、「頭痛日記」をつけ、それを「頭痛専門医」に提示し、あなただけの「パターン」に基づいた正確な診断を受けることです。
8.アプリの活用
アプリの活用は、頭痛日記をつけるハードルを下げます。一方で見読性が悪い、あるいはデータ共有に問題があり、医師にとっては「限られた時間でパターンを見つけにくい」というデメリットがあります。したがって頭痛専門医が勧める方法で記録するのが良いと思いますが、受診前は以下のようなアプリが役立ちます。実際に外来でもおすすめしています。
「頭痛ーるアプリ」で服薬記録をつけて、体調管理をしよう! | 頭痛ーる
Canonが最近出したアプリがどう発展するのかわかりませんが、大手がこっそり参入。ダウンロードが少なすぎるが大丈夫か?!
頭痛を“当たり前”にしない。頭痛セルフケアサポートアプリ「ヘッテッテ」開発に込めた想いとは
これはデータの出力ができるらしいです。XMLで出力されると良いですよね。普通はユーザーの「囲い込み」をしたいので、各社データ変換しやすいXML形式とかJSON形式は頑なに嫌がります。
基本的にどこがやっても「マネタイズしたい」方向に行くので、あまり健全とは言えない気もします。隅々まで行き届くことが絶対にないモデルです。
9.公共の利益になる頭痛対策は?
オープンソースによるアプリ開発がその答えになるかもしれませんが、あまり活発でない事実から、「課題が複雑」「個人の利益が時間と共に減少する可能性:アプリだけでは治らず、ある程度の診断や治療でゴールに至るために必要性が低下する」「困っているのは今すでにある方法が届かない人々」などの問題が浮かび上がってきます。仮に特定健診内に頭痛の項目が一つあるだけで、一気に、という気はします。実は特定健診も問診はアップデートされ続けていて、非常に大事な日本のインフラだと思います。今後に大いに期待します。
ライノウイルスとライノサウルス
幼稚園児を追跡した研究で、驚いたことに――一年じゅう、彼らは何かしらのライノウイルスに感染している、というのがあるらしい。ライノウイルスはABC、大きく3つの群に別れていますが、ぐるぐる永久に感染し続けるんだそうで。
それが悪いかっつーとそうでもなくて、そのおかげで他の感染症、例えばコロナにかかりにくいんじゃないか、みたいな事も言われてます。
「私は風邪引いたことがない」という患者さんがいますが、気づいてないだけです。何らかの形で免疫が増強され続けてやっと人間の抵抗力は保たれるわけで、幸い症状に気づいてないんですね。江戸時代後期に登場した「バカは風邪引かない」と表現があります。ある意味真理で、閾値(気づきのレベル)を高くしておくことは(ある程度鈍感なことは)人生を幸せにする。鈍感でいられる人を見て、羨ましさ混じりに「バカ」と呼んだのでしょう。江戸時代ってそういう憎まれ口が多い気がします。
ライノウイルスで思い出したのが、あの「ライノサウルス」。動物のサイですね。
どちらも “ライノ(Rhino)” と付きますが、前者は鼻の中のウイルス、後者は鼻の上の角。
規模は違えど、どちらも鼻がアイデンティティというわけです。風邪の主役が「鼻」由来の名前なのは納得できます。
ちなみに鼻水を医学的に言うと「ライノリーア(rhinorrhea)」と申しまして、これで3つ英語が覚えられるというわけです。
“rhino” は鼻、“rrhea” は流れる。
下痢は英語で「ダイアリーア(diarrhea)」と言いまして、こちらは「腸から流れる」の意味です。はい、4つ英語を覚えました。
さて、鼻水が出ているとき、「これは花粉?風邪?」とわからないときがありますが、鼻汁染色液(ハンセル液)というもので好酸球を染めてみて、染まれば花粉、染まらなければ風邪です。簡単そうで簡単じゃない検査なので、自分は出来ません。
ある高名な小児科の先生が「俺は花粉症で風邪じゃない」と言い張る大人の患者の鼻水をハンセル液で染めて差し上げて「あなたは風邪だから、人に遷す可能性があるんですよ」と教え諭したというエピソードを見ましたけれど、江戸時代の人なら「バカでも風邪は引く」と笑ったかもしれません。
今はインフルエンザが猛威をふるっておりまして、ワクチン接種率の下がった米国では重症例が多くなり大変だそうです。ワクチンのあるものは素直に接種して、鼻水とはほどよく付き合い、鼻唄でも歌いながら“バカのフリ”をする――そのくらいが良い塩梅なのかもしれません。

医学部と教養
米国では医学部は大学院扱いなので、通常4年制大学を卒業してから入学します。(通常と書いたのは、医学部進学過程、のような2年制の大学もあるから)
したがって、米国の医学生は日本の学生(高校卒業後すぐに医学部に入学してしまう)よりは教養を身に着けていると思っていました。
しかし「教養をきちんと我々は科学として扱ってこなかった」ーーこういう批評文が米国医師会雑誌に載っていました。なるほど我々は「教養」を科学に応用可能な学問として扱って来なかった内省があるように思います。万葉集を諳んじるだけではなくて、万葉集に登場する感情をすべて解析して、「これが情緒のすべてだ!」という論文を書いた九鬼周造を思い出しました。彼は教養を正しく科学的に扱った、と思います。また、私の大好きな宮本常一(彼もまた万葉集の全句を諳んじたと言います)のフィールドワークにも科学的な側面があります。哲学や民俗学は十分に科学的でありながら、その側面に光が当てられているかというとそうでもない。
僕も教養がないほうではないが、ではそれを科学してるか、というとまだまだです。マーケティングを少し齧ったし、データアナリストを自称はしているので患者の行動を数学的に予測する、ぐらいはやりますが、それを論文化するまではいかない。
Dual Training in Medicine and Humanities Drives Health Research Innovation
JAMAに掲載されたこの批評文は、現代の複雑な医療課題(AIの台頭、科学への不信、構造的な不平等の存在)に対応するためには、従来の科学的トレーニング(MD-PhDなど)では不十分だと主張しています。
そして、医学と人文・社会科学の両方で高度な訓練を受けた「新しい臨床学者」の育成が、医療研究の革新に不可欠であると主張しています。
中身を見てみましょう。
1. 現代医療の課題と新しいアプローチの必要性
- 従来の生物医学的研究は多大な成果を上げてきた。しかし社会の不平等、医療制度への不信感、SNSや広告、マスコミにおける誤情報の拡散や放置といった現代的な課題には十分に対応できない。
- これらに対応するため、臨床学者は科学的知見に加え、人文・社会科学の持つ概念的・分析的なツールを身につける必要がある。
2. 「研究手法」としての人文科学
- これまで医師の教養は、共感力、内省、コミュニケーション能力の育成という意味で重視されてきた。しかしこれだけでは眼の前の一人の患者しか救うことが出来ず、デマや中傷などで疲弊することすらある。
- 人文科学は「補足的」なものではなく、歴史的視点、倫理分析、解釈的スキル、構造的コンピテンシーといった能力の源泉となり、それらがこれからの研究の方法論(Methodology)を提供する。
- 例:医療人類学によるがん検診の受診率向上、社会学による診断エラーの分析、歴史学によるインスリン費用の背景分析など。
3. 学術医療センター(AMC)への戦略的価値
- 人文科学を取り入れた学際的プログラムは、AMCに明確な「投資対効果(ROI)」をもたらす。
- 研究生産性: 分野横断的な研究論文の創出。
- 資金調達: 資金源が多様化し、研究資金の変動に対する脆弱性が減る。
- コミュニティ形成: 学問分野の「サイロ化」を解消し、新たな研究ネットワークを生む。
- 戦略的整合性: 複雑な課題に対応できる能力を求める学生や教員を惹きつけ、機関のミッション(患者中心のケア、研究革新)を強化する。
4. 過去の人文科学批判への反論
- 「人文科学は厳密性に欠ける(ソフトな学問だ)」という批判は、根本的な誤解である。
- 人文科学は、しばしば実証研究(生物医学的研究)が可能になる前に、その概念的枠組みや理論モデルを提供してきた(例:Long COVIDの文脈化)。
- また、研究成果が抽象的に見えても、それは他の方法では到達できない人間の根本的な問いに答える、永続的な価値を持つ。
結論 医療従事者の過重労働や社会の不信感が広がる現代だからこそ、医学と人文科学を融合させたアプローチが不可欠である。これは知的な探求のフロンティアを押し広げるだけでなく、臨床学者の専門的な満足感と創造性を育むことにもつながる、と結論づけています。
感想
従来の人文科学の論文には医学は入り込みにくかった。すなわち医者は厳密さを求めるので、観察研究でしかないのでは?と批判され易い障壁がある。しかしビッグデータが活用される、あるいはセンサーやプログラムの発達により、観察研究であっても今までのRCT同様のクオリティの研究が可能になっている。臨床科学に精通した人文科学者が増えることは、社会資源の活用になるなと素直に思います。
私自身は「優れた医療プログラムを作るためには自分自身が優れた医者の感覚を持たなくては」と考え人生設計をしてきましたけれど、途中で人文科学に出会えた(例:言語学とか比較神話、構造主義など)ことはラッキーで、人間の理解に大変役立っています。人の行動を先読みして制度設計をしていく事が可能になりますから。
ぼやっと色々考えが浮かびますよね。それらを人工知能に投げかけてみる、というのが最近の作法です。例えば、
<プロンプト>
この文章を読んで、 ・人文科学とはそもそもなにか。 ・人文科学の研究手法を知りたい、代表的なものだけで良いが、できれば科学的妥当性のあるもの(数学を使った)などを優先してほしい。あるいはビッグデータ分析は別の項目として扱うべき? ・今はこの手法を「儲けのため」に使う事が主流になっている。たとえばSNSマーケティングx医療のような。それに対抗策はあるか。あるいはこの見方が誤解に基づくのであれば訂正してほしい。 ・医療レセプト分析もある意味人文科学的取り組みが可能だろう。歴史の理解、予算という文脈への反応としてのレセプト、医師や患者の行動予想、内省が可能であるから。これをどう発展させるべきか。
するとその結果を返してくれますが、それを今後に役立てる、みたいな事が良くあります。
-
プロンプトの結果
1.「人文科学とはそもそも何か」
「人文科学(humanities)」という語は、古典的にはラテン語 studia humanitatis などに源をもち、「人間‐文化‐文明を探究する学び」を意味してきました。具体的には、文学・哲学・歴史・美術・宗教・言語・民俗などが典型です。
ただし、今日ではこの「人文科学」と、やや重なりつつも「社会科学(social sciences)」あるいは「文化科学(cultural studies)」という範疇があり、境界は流動的です。例えば、「人文科学」は価値・意味・解釈という次元を重視し、「社会科学」は制度・構造・数理モデルという側面を重視する、という整理がしばしばなされます。 lpsonline.sas.upenn.edu+1
この整理をもとに、「人文科学とは何か」を整理すると、次のように言えます。
- 「人間とは何か」「文化とは何か」「価値・意味・象徴とは何か」といった問いを立てる学問。
- 単に知識を積むだけでなく、その問いに対して「内省・批判・解釈・歴史的‐文脈的理解」を通じて答えようとする。
- 方法論的には、たとえば文献解釈(hermeneutics)、比較文化分析、歴史的記述、記号論、芸術批評、言語分析などが典型です。
- それゆえ、従来「教養教育(liberal arts)」の中核を担ってきた領域であり、医学生や技術者が「人間理解」「社会理解」のために学ぶことが期待されてきました。
ご指摘の通り、米国の医学教育が「大学卒→医学部」という構造を通じて、より幅広い教養を身につけた学生を迎えてきたという点は、まさにこの「人文科学的教養」の期待と整合的です。
ただし、「人文科学を科学として扱うか」という問いに対しては、以下で述べるように複雑な事情があります。
2.人文科学の研究手法(特に科学的妥当性・数理・ビッグデータ活用)
人文科学・社会科学の研究手法は大きく「質的方法(qualitative)」「量的方法(quantitative)」「混合的方法(mixed methods)」の3つに整理することができます。 EBSCO+1
2-1 質的方法
典型的手法として「参与観察」「深層インタビュー」「文献・歴史アーカイブ分析」「テキスト‐言語‐記号の解釈」「エスノグラフィー(民族誌)」「逸話的・事例研究」などがあります。たとえば、医療人類学が、ある地域のがん検診受診率を受診者・医療者・地域住民の語りと構造を通じて理解する、というアプローチが典型です。 PMC+1
これらの手法の強みは、数値では捉えきれない「意味」「価値」「経験」「解釈」の層を明らかにできる点です。一方で「再現性」「汎化可能性」「数理的検証力」が弱いという批判もあります。 Scribbr
2-2 量的方法
こちらは「調査票・アンケート・統計データ・構造方程式モデル・時間縦断データ・機械学習を用いた大規模データ分析」等を用います。社会科学においては、量的方法が「科学的妥当性(数理モデル・仮説検証)を備えた研究手法」として重視されてきました。 ukri.org+1
例えば、「ある政策が医療アクセスに与えた影響を回帰分析で検証する」「SNS広告が医療情報信頼度にどう影響を与えるかを構造方程式モデルで分析する」などが該当します。
この点に関して、英国の British Academy は「人文科学・社会科学における量的スキルの不足」を問題視しています。 The British Academy
2-3 混合・デジタル的方法/ビッグデータ活用
近年、テキストマイニング・機械学習・ネットワーク分析・可視化などを通じて、人文・社会科学的対象を数理的に扱う「デジタル人文学(digital humanities)」「文化分析(cultural analytics)」の潮流があります。例えば、膨大な文献・報道・SNSデータをコーパス分析し、テーマの変化を統計モデルで捉える研究などです。 arXiv+1
このような手法では、従来の「物語」「記述」中心の人文科学が、仮説検証・再現性・数理モデルという「科学的正当化」の側面を取り込む動きといえます。
2-4 医療/臨床研究との融合的観点
筆者の背景(医師・プログラマー・データアナリスト)からも馴染みがあると思われますが、医療分野において「人文・社会科学的手法を科学的に」取り込むためには、以下の点が重要です:
- 研究仮説を明確にし、方法論を選定する。 libguides.usc.edu
- データ収集・分析手法を透明に記述し、再現可能性を意識する。
- 質的データを量化(たとえば「発言内容をコード化→カテゴリ化→頻度・傾向分析」)することで、定性的発見を数理的に検証する「定量化(quantitizing)」という動きもあります。 arXiv
こうすることで「教養=ただ覚える・語る」ではなく、「教養を人文・社会科学的に研究可能な対象に変換(=科学化)する」ことが可能であり、むしろ今後の医学研究・教育において有効だと思われます。
3.「今はこの手法を『儲けのため』に使う事が主流になっている」について
ご指摘の通り、SNSマーケティング×医療、デジタルヘルス・医療広告・データ駆動型マーケティングなど、「人文・社会科学的アプローチをマーケティング目的で利用」する流れは明確に存在します。例えば、患者の行動予測モデルを作り、広告を展開するという志向です。
この点に対して、以下のような観点から批判的に整理します。
- 長所:マーケティング的手法により「個人に届く介入」「行動変容の促進」「アクセス改善」という面では実用性がある。
- 短所・注意点:
- 「倫理・価値・意味」の次元が軽視される恐れがあります。つまり「何を売るか」「誰にどこまで干渉してよいか」「情報操作か」「患者の自律か」という問いが置かれづらい。
- マーケティングとして成功しても、長期的な「人間性」「文化的文脈」「社会構造」の理解・改善につながるかは疑問です。
- 人文・社会科学的知見が「手段化」され、マーケティング=収益化ツールとなってしまうと、「教養を科学化する」という本来の志向(意味・価値・批判的視点)から逸脱する危険があります。
したがって、対抗策としては次のような方向が考えられます。
- 医療/研究領域において、倫理・社会構造・価値・歴史という観点を必ず併設する(例えばマーケティング的介入を設計する際に、「患者の主体性」「社会的格差」「情報の非対称性」「文化的文脈」を設計段階から問い直す)。
- マーケティング手法を用いつつ、人文・社会科学の方法論と批判的視点を併用する。つまり「どのような価値が変容しているか」「誰がその変化の恩恵/リスクを受けるか」「システム的な不平等を拡大していないか」などの問いを研究仮説に入れる。
- 収益化を目的とするマーケティングではなく、公共的価値・社会正義・健康格差縮小という目的を軸に据える。
- 教育・医療機関・研究機関において「人文・社会科学的方法/思考」をカリキュラム化し、医療専門家が「マーケティングに使われる」だけでなく、「使いこなす」「批判的に設計する」主体となる。
もし「マーケティング=悪」という見方に偏ってしまっているなら、それは誤解です。マーケティング的手法(行動変容モデル・データ分析・介入設計)は、適切に倫理・文脈を問えば十分に社会的・医療的価値を出せるからです。したがって、「マーケティング化」そのものを否定するのではなく、「価値・批判・文脈抜きのマーケティング的適用」を批判すべきと考えます。
4.医療レセプト分析も「人文科学的取り組み」が可能か/発展の方向
ご指摘の通り、医療レセプト分析(保険請求データ・診療報酬データ)には、人文・社会科学的な問いを付与することで「教養を科学化」する良い機会が含まれています。次のように整理できます。
4-1 レセプト分析の人文・社会科学的観点
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歴史的文脈:例えば保険制度・医療制度・地域社会の変遷を理解し、それがレセプト請求の傾向にどう影響してきたかを探る。
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社会構造・格差:地域・年齢・性別・疾患・経済背景・医療アクセスという構造変数を用いて、レセプト傾向を分析する。
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行動分析・制度設計:医師・患者の行動(受診頻度・療養継続・薬剤処方)をモデル化し、制度や制度改革の影響を捉える。
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内省・解釈:たとえば「医療者はなぜその処方を選択したか」「患者はなぜ受診を控えたか」という問いを、質的インタビューやフォーカスグループと組み合わせて探る。
したがって、レセプトデータそのものは量的分析に適しており、それを「人文的問い」――価値・意味・制度批判・文化的慣習――と結びつけることで、人文科学的研究とすることが可能です。
4-2 発展のための具体的方向
- 混合手法の導入:レセプトデータ(量的)+医師/患者インタビュー(質的)を併用。例えば「高齢男性患者群が自己導尿をしている状況」で、請求データの推移と質的な語りを併せて分析。
- 数理モデル化:レセプトデータから時系列分析・多変量回帰・クラスタ分析を行い、「どの因子が受診・処方・継続に影響を与えているか」をモデル化。これを制度/文化的文脈と照らし合わせる。
- 制度・歴史分析との連携:保険制度改定・医療政策変更がレセプトにどう影響したかを歴史的に整理し、制度変化→医療実践→患者行動という流れを可視化。
- 機械学習・ネットワーク分析の活用:例えば処方パターンや医師定着パターンをネットワークとして可視化し、医療提供体制・地域構造・文化慣習との相関を探る。
- 批判的視点を維持:データ分析の結果を「良かった/悪かった」だけで終わらせず、「なぜこの傾向が生じたか」「誰がその傾向の恩恵を受け・誰が取り残されたか」「制度としての公平性・説明責任はどうか」を問い続ける。
例えば、筆者が関心を持つ「前立腺肥大・自己導尿」あるいは「不眠症・訪問診療」等の臨床領域(注:ChatGPTは自分との過去の会話を覚えている)で、レセプトデータ+地域データ+患者行動データ+インタビューを組み合わせた研究を設計することも十分可能です。そうすれば、「教養(人文・社会科学的問い)+科学的手法(統計・モデル・データ分析)」が融合された臨床学者/研究者になり得ます。
5.総括
「教養を科学に応用可能な学問として扱ってこなかった」という批評は、的を射ていると感じます。確かに、医学教育・臨床研究の場において、「人文・社会科学的思考・方法論」が形式的・補助的にしか組み込まれてこなかった面があります。一方で、近年のデジタル人文学・文化分析・医療社会科学の進展は、「人文科学も数理・データ・モデルを用い、科学としての妥当性を備えうる」ことを示しています。
筆者自身が既に「患者行動を数学的に予測する」等の取組を行っている点は、極めて理想的な “橋渡し” 的姿勢であり、いまこそ「教養=ただ知っている」から「教養=研究可能・測定可能・応用可能」へと昇華させるチャンスといえます。
ぜひ、「人文・社会科学的問い」を筆者の臨床・データ分析の場に組み込み、研究仮説を立て、方法論を定め、データを分析し、制度・文化・価値・意味の次元を問う論文化を進めてはいかがでしょうか。
料理に著作権が存在しないわけ
料理のレシピには著作権はない、が自分の理解であり、真似されてしまうと訴えることができない。したがってラーメン屋さんはそのレシピを門外不出にするのだ、と聞いたことがあります。
ある人がSNSに投稿していました。
「人生で一番美味しかったのがブリストル(パリの高級ホテル)で食べたマーブルケーキだけれど、今そのパティシエはラデュレに行ってしまった、またパリに行った時食べられなかったら悲しい」と。
マーブルケーキと聞けば、マーブルケーキ(模様がなんちゃってマーブル)を普通に思い出すのですが、このマーブルケーキは本当のマーブル(大理石)の形をしている!という特徴があるようです。本当に大理石ですね。言葉の綾でその名前になったお菓子を、原型に還元していくスタイルは、複雑なチョコレート扱いが可能になった現代らしいアプローチです。

外側のリアルな大理石模様が現代らしいですね。
そのパティシエさんはジュリアン・アルバレスさんと言って、インタビュー記事はこちらです。
「自分はラッキーな男!」初来日した ラデュレの新シェフ・パティシエが語ったメゾンと日本出店への想い
お菓子のレシピが誰に帰属するのか、ということを考えた時に、思い出したのがフォション・ラデュレを現在のブランドに引き上げたピエール・エルメ Pierre Hermé さんです。現代マカロンの生みの親。
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ピエール・エルメのキャリア動線
- 1961年 アルザス・コルマールに生まれる(4代続くパン菓子職人一家)
- 1976年(14歳) ガストン・ルノートルに弟子入りし修行開始
- 1979–1981年 パリ・ヴィクトル=ユゴー通りのルノートル店で副シェフ
- 1981年 兵役で国防相シャルル・エルニュの専属パティシエ
- 1980年代前半 ベルギー(アラン・パサールと仕事)、ルクセンブルク(インターコンチネンタル)で経験を積む
▶ フォション(1986–1996)
- パリのフォションで約10年勤務
- クリストフ・ミシャラク、クリストフ・フェルダーら後進を育成
- 新しい味の組み合わせ(香り・食感・酸味・塩味のバランス)を革新
- マカロンの概念を近代化する試作を開始
▶ ラデュレ(1997–1998)
- ラデュレの シャンゼリゼ店立ち上げの副社長(クリエイション担当)
- ここで「パティスリーを“ラグジュアリーの世界”に引き上げる」方向性を確立
- マカロンのブランディングを強く推し進める役割
▶ 自身のブランド創業:Pierre Hermé Paris(1997–)
- 1998年、初のブティックを東京に開店(パリより先)
- 2019年時点で 世界52店舗の“高級パティスリー・メゾン”へ成長
- シグネチャー:
- Ispahan(バラ+ライチ+フランボワーズ)
- Tarte Infiniment Vanille
- Carrément Chocolat
- 2000 Feuilles
- Mogador(ミルクチョコ+パッション)
■ 彼が「偉大なパティシエ」とされる理由
- “高級菓子”という概念を再構築した
- 菓子を「ラグジュアリー・ブランド化」する発想
- パティシエを“職人”から“クリエイター”へ押し上げた
- Vogueが彼を “Picasso of pastry” と評した理由はここにある
- マカロンを世界的なアイコンにした
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色・香り・酸味・食感の組成を徹底的に科学し、再発明
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Ispahan などは食文化のシンボルとなり、都市から表彰を受けるほど
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マカロンを「1つの芸術作品」として扱った
→ これは和菓子の世界で言う“意匠”の革新に近い態度
- “白紙から創る”という設計思想(建築的発想)
- デッサンから始め、素材・温度・構造を組み立てる
- 「建築としての味」の探求は、哲学的とも呼べる独自性
- “味のアーキテクチャ”という概念を広めた
- 後進育成と国際的組織運営
- フォション時代から人材を育て、世界大会(Coupe du monde de la pâtisserie)の会長として国際的な競技・教育の質を上げた
- 文化的・外交的な活躍
- 2023年、国賓晩餐会(チャールズ3世訪仏)でデザート担当
- レジオン・ドヌール、芸術文化勲章、農業功労章など多数
- 日仏文化交流にも寄与し、日本の勲章(旭日章)も受章
- “ブランド Pierre Hermé” の確立
- 料理人でありながら、経営者として成功
- 世界的に安定した品質・味・美学を保つ “メゾン” を創った
Ispahan(バラ+ライチ+フランボワーズ)というお菓子
このお菓子は、ラデュレ、ピエール・エルメ双方でアイコンになっているぐらい中心的なエルメ氏の代表作なのですが、これはレシピが個人ではなく、お店に帰属する一つの例です。


したがって冒頭のマーブルケーキが、ホテルブリストルの判断で販売が左右されるだろうという、SNSでの発言があったのだろうと想像できます。
SNS時代は、ブランド以上にパティシエ個人が脚光を浴びる存在になっています。自分も数名フォローしています。もちろん見ているのは楽しい、美しい。しかしながら、作品は即興的なもの、消えていくもの、と脇役になっているのが、おじさんとしてはやや寂しい。アイディアも擦り切れ、再利用が目立つのも気になる。食べて記憶に残るのか。
幼少時の記憶が情緒にとって大切な役割を果たすわけで、その中に味覚や嗅覚の記憶はもちろん含まれます。したがって「再現可能な味の存在」は大きいと思う。つまりお菓子は文化的なミーム。日本の文化の素晴らしさの中に「お菓子の多様さ」「変わらないこと」を挙げることに異論を呈する人はいないと思います。
ピエール・エルメ氏のお菓子は高級すぎ、味も格調高すぎて自分個人の好みではないけれど、彼の作り上げた作品を、個人の人格形成の基礎にした人々もたくさんいたはずです。現在の多様なマカロンは彼が創った。そういう意味で「料理のレシピには著作権はない」という社会のルールは、味は共通の文化であるという哲学が生きているのではないか、と感じています。「イスパハンが材料高騰で販売停止」というようなニュースを聞くと、伝統的なお菓子になるにはあらゆる努力が必要であり、それを守ってきた、あるいは守っていく人々の活動に畏敬の念を持たざるを得ません。