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引き出し / ナイアシン・フラッシュ / 満遍と万遍 / あとがき

目次

あなたの引き出し、閉じっぱなしになっていませんか

外来では時折、唐突に、誰かに言われたか、テレビで見たか、免許証の書き換えか、きっかけは色々なのだが、なんの具体的エピソードもなしに「先生、近頃どうも物忘れがひどくて。いよいよ認知症でしょうか」と言う人々がいる。平均0.5人/日ぐらいだから時折、でもないか。

その品のある女性にはお子さんが付き添ってらっしゃったから、それなりに心配な事はあるのであろう。それはそれとして、時間をかけて後日。本人に対しては穏やかに、今はこの場を切り抜けようと思った。

アドリブで、こんな比喩が口をついた。 「記憶とは、巨大な整理箪笥のようなものだと考えてみてください。思い出す、というのは、その引き出しから目当てのものを取り出す作業です」

もちろんシャーロック・ホームズを意識したセリフだ。彼の記憶は膨大であるから記憶の宮殿。でも我々は……箪笥でOKだろう。

こう切り出すと、患者さんはこくりと頷いた。

「皆さんがおっしゃる『記憶力の低下』とは、どの引き出しに入れたか分からなくなるとか、引き出し自体がガタついて、スムーズに開けられない状態。年季の入った古い家具みたいなものですね」

「ああ、先生。まさにそんな感じです」と、患者さんの顔が少し和らぐ。つかみは大丈夫なようだ。

続けて、私は少しだけ真顔になる。

「ですが、我々が本当に警戒すべきは、そこではありません。間違った引き出しを開けているのに、本人がその間違いに気づかない状態です。そうなると、日々の暮らしに支障が出てくる」

「間違えてしまったこともわからないのですか」

「ええ。あるいは、感情の引き出しを間違えることもある。怒るべきではないのに、怒りの引き出しを全開にしてしまう、とかですね」

「……」

「あなたに、そんなご経験は?」

「いいえ、ありません」

「ご家族から見ても?」

「はい、大丈夫です」

よし、これで少し安心してくれただろうか。不安は認知の歪みを増悪させるので、まずは感情を安定させてから色々取り組むべきだ。

私はいつもの調子に戻って、話を締めくくる。

「では、そのガタつく引き出しの滑りを良くしておきましょう。潤滑油を注すんです。私のおすすめはω-3脂肪酸、魚の油はそれですね。麻から取れるアマニ油も同じ仲間ですが、あっちは本物の機械油にもなるらしいですから」

アマニ油が機械油、つまり潤滑油として使われるのは本当で、偶然口をついたが上手いことを言ったものだ。

「なので、美味しいお魚をたくさん召し上がってくださいね」

と、もっともらしく説明している私自身、記憶力にはからきし自信がない。財布やカバンを置きっぱなしにするのは日常茶飯事。さらに日付の記憶が苦手で、今日が何月何日か、意識の外に放り出していることもしばしばだ。この文章を書いているのが9日なのだが、そう認識できたのも、明日がレセプト(診療報酬明細書)の締め切りだという、切羽詰まった事情のおかげに過ぎない。

翻って、我が母である。外来の女性と同年代の彼女に「今日が何日か、ちゃんと意識してる?」と尋ねてみた。すると母は、何を馬鹿なことを、という顔でこう言った。 「当たり前じゃない。毎日20人も30人も予約の電話がかかってくるのよ。そのたびにカレンダーを見るんだから、嫌でも今日は何日だって頭に入るわよ」

なるほど、と私は膝を打った。 記憶の引き出しとは、どうやら頻繁に開け閉めし、誰かの役に立ってこそ、その滑らかさを保つものらしい。専門家ぶって比喩を弄している私の脳みそは、締切という名の鞭があってこそ、かろうじて今日の日付を記憶する。なんともはや、怠惰なようで、正直な器官である。


ナイアシン・フラッシュの不思議:隅っこのビタミンと血管拡張の科学

導入:あの「フラッシュ」を知っているか

ナイアシンフラッシュ、この言葉をご存知でしょうか。

ナイアシン、すなわちビタミンB3。かつては、その強力なコレステロール改善作用から、スタチンとの併用による心血管イベント抑制効果が期待された時代がありました。実際、2009年のNew England Journal of Medicineでは、スタチンとの併用でゼチーア(エゼチミブ)よりも優位性を示す予備的なエビデンスも存在しました(DOI: 10.1056/NEJMoa0907569)。しかし、その後の大規模臨床試験で有効性が否定されたこと、そして後述の耐え難い副作用のため、現在では脂質異常症治療の主役の座を追われ、薬物療法の隅っこに追いやられています。

海外の通販サイトで「ナイアシン」を検索したとき、「Extended-Release Niacin」(徐放性ナイアシン)という、わざわざ手間のかかる製剤ばかりが目につきます。なぜそれらが必要なのか。好奇心から通常製剤を試した私は、その理由を身をもって知ることになります。

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体験してみよう:紅潮と徐脈の奇妙な共存

「赤くなるよ」「びっくりするよ」という忠告を半信半疑で受け止め、恐る恐る服用したある日の自分。ところが飲んでわずか10分後、ほんとうに顔が真っ赤に紅潮してびっくり。まるで全身の血管が突然拡張したかのような熱感に包まれます。こんなに赤くなるんだからドキドキすると思うでしょう?ところがこの強烈な体感とは裏腹に、脈拍はストンと10近く低下していました。心臓は静まり返っているのです!!

この現象こそ、通称「ナイアシンフラッシュ」と呼ばれるものです。強烈な熱感と血管拡張が約30分で収束した後の体は、まるで朝からじっくりと風呂に浸かった後のような、一種の清涼感に包まれていました。

ある程度の熱量でこの「ナイアシンフラッシュ」を絶賛している人々がいるのはわかります。癖になっちゃいそうな感覚です。

と、私はポジティブに解釈したものの、100mgでこれほどの反応であれば、薬用量である2000mgなどの高用量をそのまま服用できる人ばかりではない、実際ほとんど無理だろうと理解できます。これが徐放性(Extended-Release)の必要性でしょう。ナイアシンフラッシュが起きないようにゆっくりと吸収させるわけです。高用量で治療を行う際の患者の「忍容性」という壁を痛感させられる出来事です。

医療的な議論とメカニズム

ナイアシンが高用量で治療に使われなくなった主な理由の一つは、この忍容性の低さです。赤み、かゆみ(pruritus)、消化器系の副作用は、徐放製剤を使ってもなお多くの患者が許容しがたかったのです。

このフラッシュの原因については、かつてはヒスタミンの関与も疑われていましたが、現在ではプロスタグランジンD2 (PGD2) が主たる起因物質であるという理解が一般的です。ナイアシンが皮膚の細胞(ランゲルハンス細胞など)にある特定の受容体を介してアラキドン酸カスケードを活性化し、強力な血管拡張作用を持つPGD2を大量に放出させることが、紅潮と熱感の主なメカニズムです。フラッシュを抑えるためにPGD2受容体拮抗薬の併用が試みられましたが、患者の忍容性を劇的に改善するには至らなかったという治験結果も出ています。

また、もう一つの医療的な壁として、ナイアシンを高用量で使用した場合にLDLコレステロールは下がるものの、筋肉痛(ミオパチー)の増加や血糖値の上昇といった副作用が指摘されたことも、臨床での利用を遠ざけた要因です。

フラッシュ現象の個人的な考察と示唆

私の体験と、上記メカニズムの科学的な知見を統合すると、いくつかの興味深い示唆が得られます。

  1. 熱感と脈拍低下の不思議 熱くなる(血管拡張による体温放出)にもかかわらず、脈が落ちたという現象は、私にとって非常に印象的でした。強烈な皮膚血管の拡張と、それによる体温の低下(牛で実験すると皮膚温が1℃以上低下し、熱中症対策に使えるという報告さえある)が起こる一方で、あたかも軽い副交感神経刺激がシミュレートされたかのように脈が低下する。おそらくこれは「抗ストレス作用」であり、ナイアシンフラッシュがストレスが極度に溜まった人々に支持される理由かもしれません。ヒスタミン作用というよりも、強烈なPGD2による生体反応が、結果的にある種のリセット効果をもたらしているように感じられます。個人的にはサウナ後の冷水浴に近い体験でした。
  2. フラッシュと瞑想の類似性 とある友人が「僕はナイアシンフラッシュ依存なんだー良い子はマネしないでねー」と語っていたのも聞き流せません。強烈な身体的変化を伴い、その後深いリラックス状態へと移行するこの体験は、雑念を強制的に振り払い、一種の非日常的な集中状態(またはリセット状態)へと誘う「化学的な瞑想」のアプローチがあるのかもしれません。

最新情報:医療から美容へのシフト(2024年時点)

さて、この体験をした2019年時点から現在、ナイアシンを取り巻く最新情報はどうなっているでしょうか。

まず、脂質異常症治療薬としてのナイアシン(ニコチン酸)の立ち位置に大きな変化は見られません。むしろ、高用量摂取が心臓に悪影響を及ぼす可能性を示唆する最新の研究報告(2024年3月)も出ており(徐脈になるので、高用量は確かに悪いのかもしれない)医療現場での使用には引き続き極めて慎重な姿勢が求められています。

一方注目すべきは、ナイアシンフラッシュを起こさない誘導体である「ナイアシンアミド(ニコチン酸アミド)」の分野です。

医療の主役を降りたナイアシンは、その誘導体を通じて美容・スキンケアの分野で「万能成分」として大注目されています。2024年現在、ナイアシンアミドは「シワ改善」「美白」「肌荒れ防止」の三つの効能を持つ有効成分として、高濃度で配合された化粧品や医薬部外品の市場が急拡大しています。フラッシュの不快感がないナイアシンアミドが、肌のバリア機能改善やコラーゲン生成促進といった恩恵をもたらすという研究が主流となり、ナイアシンは「医療の最前線から、美容の最前線へ」と、活躍の場を大きくシフトさせたと言えるでしょう。

さらに、ナイアシンの代謝物であるNAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)とその前駆体NMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)も、抗老化サプリメントとして大きな話題となっています。NAD自身は内服しても効果が薄く、その前駆体であるNMNが使われますが、サプリメントとして米国では発売禁止になるなど、「毛細血管拡張の最終兵器っぽいが、もうちょっと研究を待て、焦るな」と警告されている状態です。この「長寿・抗老化」の領域におけるナイアシン関連物質の動向についても、今後も注視が必要です。

(了)


満遍あるいは万遍について

「まんべんなく」という古い言葉を、教育する人は無意識に使っている。日本語変換を使って初めて気づくのだが、その「まんべん」が「満遍」か「万遍」かを問われれば、多くの人は即答できず、「うーん」と考えてひらがなのまま書くだろう。

こうした言葉の揺らぎには、歴史があるはずだ。

「満遍」は仏教語だ、と語源を紹介するサイトに簡単に書いてあるけれど信用して良いのだろうか。国会図書館デジタルコレクションにアクセスしてみた。壒嚢鈔(さんねしょう)という室町時代中期に編纂された辞典に載っているとのこと。壒嚢鈔は臨済宗(禅宗のひとつ)に属していた行霖(ぎょうりん)が1446年編纂したという仏教用語辞典。その注釈書の該当部分を見ると「満遍」は「平等」の意味とある。

関係ないが国会図書館のデータベースには「国書刊行会」とか「国民図書刊行会」とか「国民文庫刊行会」という名前が時々出てくる。似たような名前だがそれぞれ違い、「国書刊行会」には新旧2つあるとか、「国民図書刊行会」は幼稚園児向けの図書を出版するチャイルド本社だとか、「国民文庫刊行会」もまた大変ユニークな会社で、調べるとエピソードに事欠かなく面白い。

国書刊行会(新)はニッチな本ばかりを出す出版社だ。2025年のノーベル文学賞はハンガリーの作家、クラスナホルカイ・ラースロー氏に授与されるが、この作家の代表作「サタンタンゴ」の翻訳権を持っているようで、とりあえず積読候補に入れている。

国書刊行会 on Twitter / X

話を戻すと、「満遍」の現代における意味はむしろ「遍満」に近いと気付いた。そこで同じく国会図書館で調べると『華厳経』の中に「遍満」(へんまん)という言葉が多く登場し、「あまねくみちる」という意味で使われている。華厳経はとても古い仏教の経典で、日本では東大寺が華厳宗の総本山だから、その古さを想像してほしい。

一方「満」と「遍」が隣り合う並びもかなり登場する。述語として登場するわけではないが、「充満」と「遍十方」などの語が連続して現れ、結果としては

諸佛充滿徧十方一切衆生無不見

慈海充滿徧一切入諸莊嚴方便門悉現一切衆生前

というような文言となる。ChatGPTによれば、諸佛充滿|徧十方一切で区切るんだとのことで、満遍という言葉として理解しないと言う。しかし、お経を唱える側の感覚としては「満」と「遍」が隣り合うこの構文に「満遍」の原型を見ることもできる。まんべん、まんべん、と。

また仏教世界では念仏をたくさん唱える、すなわち、百万遍、というような言葉も頻出する。つまり「まんべん」が言葉として定着するには十分な素地がある。

そして昭和初期の辞書にはすでに「満遍/万遍」は同じ意味として登場している。

明治・大正期の資料は国会図書館デジタルコレクションで全文参照できず、十分に漁れていないが、少なくとも「満遍なく」ではなく「万遍なく」を定着させ、現代の意味(くまなく、もれなく)へ導いたのは夏目漱石ではないかと思う。青空文庫内でこの語句の登場が漱石に偏っている。彼が「万遍なく」を作品に多用したことで「くまなく、もれなく」の意味で「万遍なく」が固定されたのかもしれない。確証はない(年代順に並べて思索する、ほどの時間が取れない)が、直感的にそう感じる。

こういう些末なことを考えていたのは、

10年間で8280時間、本を読んだ記者の悟り「読書は時間の無駄だった」 | 「それより運転免許を取ればよかった」

こういう記事があったからだった。

「本は時間の浪費だ」という記事だ。見出しを見るに釣りっぽいが、これはもしかすると深いぞ?今はクーリエ・ジャポンを購読していないから中身が読めず、また原文が載っているサイトも有料なので、中身は推測するしかない。

どう推測するかというと、全文が読めない論文と似たテクニックを使う。すなわちこの記事に反論しているブログ、Twitter(X)での反応などをGeminiのDeep ReseachとかGrokなどのAIを使って掘っていくのである。(Twitterを検索出来るという意味で、Grokはものすごく便利だ。MetaのLlamaにもこの機能があったらものすごいのにね)もちろんこの著者、ウィル・ロイドの書いた2020年代の記事の履歴、評判も網羅する。

するとやはりというか、この記者にはこういう記事を書かねばならない文脈というものが存在していて、背景を知ればこういう主張にも意味があると思えたのだ。

僕を含めた、本が好きな人の脊髄反射は、「おいおい、本は無駄じゃないだろう」である。世の中で成功した人、例えばビル・ゲイツがどういう本を読んだ?は世界から注目を集めているわけだし、あれほど忙しい人でも本を読むのだから、運動が人間に不可欠であるように、日常を保つために読書は有用だと多くは信じている。実際、僕自身もそう信じてきた。また、僕には読書好きの友人が何人かいて、彼らが何を読んだ?は常に気になっている。つまり自分は「読書」単独ではなく「読書を通じた関係性」をも自分の財産にしているという意味で、偏っている。

翻って、読書体験と、その平等性を考慮した結果として、この記者の主張を推測するとこうなる。社会的な評判としてはこの記者は「ある程度ユーモラスに」主張するのが特徴であるようだから、主張を多少ゆるくしてみようと思う。

  1. 古典を読め、なんていうけれど、そんなのはエリート主義である。僕らには恐ろしく学ぶべきことが多く、そんな現代に、自分が気づきを得るまで時間をかけて読書を強要する意味はないんじゃないか。言語理解にも個人差があり壁もある。平等さを重視するならば、要約とか音声、動画でいろいろ学べる、そのほうがましじゃないか。
  2. 読書の代わりに「行動」に時間を費やすことも大切だろう。事実、直接取材することから得られたことはとても大きいよ。

さて、ショート動画全盛の現代である。広告による富の移転、がその原動力なので、最適化された画像だけを見ていることにより問題になるのが「万遍なさの喪失=偏り」だということは周知の事実だ。エコーチャンバーと言われるが、「馬鹿になる」ことがとても簡単なのである。

それは争いを生みやすい。したがって恐れるべきは読書体験の喪失ではなくて「万遍なさの喪失=偏り」ではないか。

古典的教養とは、情報の偏りを減らすための、きわめて人間的な努力だったのかもしれない。「満遍」にも平等の意味を持たせる場合がある。自分が勉強する時に意識することが「万遍なく」であるし、数学の「証明せよ」も万遍なく考えることのトレーニングだ。

NHKに「100分de名著」のような企画はあり、25分x4つの視点で解説してくれる。その100分すら長いと感じるのが現代かもしれないし、4つでは少ないと感じる人もいるだろう。その点現代はLLMの登場もあり、もっと短時間で四方八方から評価し味わう教育──立体的な学び──も可能であり、それこそが「あまねく満ちる」道ではないだろうか。

「万遍なく」は重要な考え方だ。自分の職業倫理で言えば、病気に関して網羅的に考慮することもそうだし、時間をかけるべき人には時間をかけるが、簡単だと言って等閑にもしない、という複雑な側面も持っている。そして重要なことは「時間は限られている」だ。

SNSで馬鹿になることは簡単だ。かつてはテレビがそうだ、と言われていた。けれど、一方でそうならないための手段も整備されているという現代。若い人たちがどう進化していくんだろうか。偏らず、しかし一人の声を軽んじない方向で、「万遍なく」がどこまで社会実装されるのか。「釣られない人々」が過半数を超えたとき、人類の歴史は次のステップに進めるのではないか、と期待しているのだが……。

ユング的な何か、を連想したので、それを人工知能に描いてもらいました。

ユング的な何か、を連想したので、それを人工知能に描いてもらいました。


あとがき

よく「わからない」「むずかしい」と言われてしまうので、それぞれの文章の狙い、発想みたいな事をメモしておきます。

認知症

認知症に関して様々な勉強をして思うことですが、医療あるいは社会において、認知症をどう捉えるべきか、まとめるとこういう視点で考えられています。

  1. 患者さん本人の人権・人格を守る。
  2. 家族の思いも大切にする。それらが協調していることが望ましい。
  3. 社会負担を大きくしない。そのシステム構築をしていく。

患者さんの能力を保つ、という事は治療あるいは介入の目的ではありません。そこが一般の方に理解していただくための最初の壁であり、あの手のこの手の話を100通りぐらい用意して、どれかが響くと良いなと提供しているのが現在の私です。

「ものを忘れやすくなった」この現実に蓋をすることも、責めることも、先に示した視点からすると避けるほうが良いのは明らかです。情報を共有しやすく、外来での風通しを良くするには、認知症の恐怖を取り除くことがまずは重要なため、今回のような話を書いたという事です。

ナイアシン

いろいろな身体の不具合を見るわけですが、抹消の循環の悪さ、毛細血管の血流の悪さを改善することはとても大切であり、かつ、決定打がない、というのが現代です。NOが良いというのはわかりますが、それを抹消に届かせる手段はなんかないかな、と普段考えているわけです。

NMNは良いのでは、もうちょっと研究されると良いななどと思っている現在ですが、その前にナイアシンのことを忘れちゃいけないよな、とその歴史を自分の経験をまじえ書いたもので、ナイアシンを勧めるものでもなんでもない事を理解して下さい。

どんな大発見にも文脈があります。ノーベル賞が発表されたら、その文脈を追っていくことで、とても理解が深まります。「文脈を常に考える」という視点は次の話につながっていきます。

まんべん

本(小説)はものすごく大切だなあと思います。その一方で、ディスレクシアのような病気もありますので他人に「本を読め」とは軽々しく言えない。本を読むと、多くの人生を歩んだように感じますが、それはおそらく「著者」がはっきりしていて、その考え方が当然自分とは違うことを感じ取り、比較する中で立体的な体験として残るからかもしれません。一方、本を読まなくとも、現代のメディアでそのような立体的な体験はできるかもしれず、それこそが真の平等だ、とウィル・ロイドが言いたいのだとすれば、とても納得が出来ました。残念ながら現実は個人の履歴に沿ってコンテンツが表示されるSNSの「エコーチャンバー効果」に支配され、GAFAMが先鞭をつけた現代の奴隷制度・階級社会・紛争、につながっていると思いました。マクルーハンの言う通りになってはまずいのです。では対エコーチャンバーとして、どういう視点が重要かしらということで「まんべん」あるいは「へんまん」という言葉が思い浮かび、こういう内容になったという次第です。東大寺!華厳宗!禅は臨済宗と曹洞宗!あたりは、今後の人生で何度か出会う言葉です。国会図書館デジタルコレクションは地道に拡張され続けていますし、これとAIを組み合わせることで、素人が一次資料で学習が出来る(もちろん誤解や曲解もするでしょうが)という素晴らしい環境があることも紹介したかったのです。