16色 / タラモサラタ / 悲嘆と希望 / 啓発本批判 / GDF-15
目次
16色
黄土色、という色が子供のころ、クレパスのセットに入っていて「おうどいろ……?どういう意味?」と不思議だった。その黄土色にPhotoshopでインナーシャドウを入れて印刷してみると金色の字に見えるのでお正月用に便利に使う。
ところでサクラクレパスの16色セットは、
- あか
- だいだいいろ
- きいろ
- きみどり
- みどり
- みずいろ
- あお
- むらさき
- ももいろ
- うすだいだい
- おうどいろ
- ちゃいろ
- こげちゃ
- くろ
- はいいろ
- しろ

で構成される。でも今までうすももいろ(か、はだいろ)だと思っていた色は、うすだいだいと呼ばれている。知らなかった。ちなみにぺんてるだとうすだいだいがペールオレンジと表現されている。「はだいろ」はポリティカル・コレクトネス的にアウトだろうことはわかるが、調べると変更されたのは平成11年(1999年)だそうで、さすが色に敏感な人々が開発してるのだけに世の中がどうこう言い出す前に「この相対的な名前のつけかたは本質的ではない」と気付いたという事だろう。
これがドイツのシュトックマー16色セットになると、まずはいいろ(はいいろは24色セットにもはいらない)がない。こげちゃもない、うすだいだいもない、ももいろがない。そのかわりに(あか→だいだい→きいろ)が(洋紅→朱→オレンジ→コールデンイエロー→レモンイエロー)と細かい。あるいは(みどり→あお→むらさき→あか)が(緑→青緑→青→青紫→赤紫→洋紅)と細かい。黒いとか白いじゃなくて、シアン、マゼンダ、イエローという、色の三原色に関して細かくなってる事がわかった。

白黒の配合された色が子供の使うクレヨンに入っているのが日本のお国柄だとすれば面白いのだが。(墨の文化があり、みたいな考察を求めてWebを彷徨ったが見つからず残念)
ちなみにWebの世界の標準はこうだ。3原色がある、なしで表現できる8色(黒、白、マゼンダ、赤、黄色、青、水色、黄緑)に加えて、ある〜半分〜なし、で表現できる27色のうち、ネイビー、グリーン、グレー、マルーン、オリーブ、ティールブルー、パープルの7色と、それとは別に明るいグレー(シルバー)を入れてある。

「海外のクレヨンセットでは、三原色同士を混合した色が多く、白を多く混ぜた明度が高い色が少ない印象だがそれはなぜか?」を人工知能に質問したところ、「ソースはなくはっきりしないが、クレヨンで塗った部分を削り取ることで明るい色を表現するテクニックを使うし白チョークを混合することも普通に行われるから、必要ないんじゃないか」みたいな至極妥当な答えが返ってきて納得してしまった。(こういう返事をしてきた訳では無いが、こう気づかせてくれる答えはもらった)
東洋と西洋の技法の発達に即した色の決め方、のようで自分的には納得しています。
カラーパレットは自分にとっては重要な存在だった。デジタルな世界では、WindowsでもMacでも、あるいはPhotoshopでも、あらゆる作業に必要なカラーパレットがあまり好きではなく自分好みに変更する作業を若い頃はしていた。ところが自分と同じようにカラーパレットにこだわる人々はあまりおらず、やや孤独感も感じていた。年を取った今は、長いものに巻かれデフォルトのカラーパレットを使っている。感性の死?だろう。
それでもアーティストのパレットを展覧会で見つけると立ち止まり、自分の経験を思い出しながら長時間彼らの脳内をシミュレーションするのが楽しい。最適化された部分も良いが、絵の具を出しては見たものの使わなかった、みたいな部分も良い。

ピアノを弾くマルグリット・ガシェを描くためにゴッホが1890年に使用したパレットだそうです。

ピアノを弾くマルグリット・ガシェ、寒色系かつ影がない、面白い絵です。
Pinterestでパレットを検索するだけでも、刺激されると思いますので上記リンク、クリックしてみてください。
タラモサラタとタラモサラダ
ポテトサラダにたらこを入れたものをタラモサラダと称しているのを何も不思議とも思わず生きてきましたが、2000年代に日本で定着した言葉で、そもそも、トルコ、ギリシャ料理の「タラモサラタ」に由来するんだとか。はじめて知りました。人間ドックを人間ドッグと言っちゃう系の話かなと思ったら、意味としてはサラタもサラダも同じらしいです。
最初タラモサラ「ダ」と書いちゃったのはなんかの勢いか勘違いだったかもしれませんが、いつしかレシピの中身も変わって定着していったんでしょう。面白い。
タラモサラダの名前の由来は? - タラモサラダと言いますが、なぜタラコサラダじゃないんですか?タラモってなんだか気持ちが悪いです。… - Yahoo!知恵袋
レファレンス協同データベースを見たけれど、あんまりおもしろい回答ではなく(いつも司書さんがとことん頑張るわけではない)て、そこで国会図書館アーカイブを調べてみる。
すると、小林カツ代さんの「ちょっとごちそう」という1987年の本にはすでに登場するみたい。
そして驚いたことに自分のバイブルである婦人画報社の家庭料理全書(1965)が一番古いっぽいです。あの本をどこにやってしまったのか。あーーー、という声が思わず出ました。
悲嘆と絶望、そして回復と希望
肉親を失った悲しみの体験を「grief(悲嘆)」と表現します。はじめて聞いた時にもっと強い「絶望」という表現はしないのだろうか、という疑問も持っていました。でも自分が知らなかっただけで、絶望と表現する人々はいたんです。
ブラックフェミニズムという思想があります。
1970年代から、いわゆるフェミニズムは白人中産階級女性の考えに基づいており、黒人女性が受けてきた抑圧とは別物だ、という批判が行われていました。これがブラックフェミニズムです。
1989年に法学者であるキンバリー・クレンショーが「intersectionality(交差性)」という概念を論文で提唱しました。これは黒人女性が性別のみならず人種による二重の抑圧を受けている事を示した言葉ですが、この概念が近年拡張され、階級、性的指向など、複数の抑圧に直面する人々に適用されます。特に2000年以後よく使われるようになりました。
このブラックフェミニズム研究でしばしば登場してきたのが「despair (絶望)」という言葉です。論文など読んでもぼやっとして良くわからなかったのですが、この書評を見てやはりこれらも肉親の死(特に子どもの死)を表しているのだなあとわかった次第。
Jennifer C. Nash著「How We Write Now: Living with Black Feminist Theory」
Grief(悲嘆)は、喪失を体験した際に感じる深い悲しみと書きましたが、心理学やカウンセリングの文脈では、recovery すなわち癒しや適応、再構築のプロセスもセットで扱われます。
そして2020年以後、despair (絶望)の先にある respair (再生する希望)という言葉がセットで扱われるようになります。respairは15世紀以来使用例がほぼ記録されていない死語でしたが、回復という文脈で注目されている言葉です。
この本はアルツハイマーで変化していく母親との関係をどう再構築するか、をブラックフェミニズムの理論家である著者が綴ったものだそうです。読んでみたいのですが、結構日米の価格差(3倍ぐらい値段が違う:デジタルなのにねえ)があるので、まずは米国Amazonのアカウントを復活させて、などともたもたしています。読んだらご報告するかもです。
啓発本を批判的に読むのがなかなか辛い
啓発本は黙って読んで頷いておけ、みたいな話もあると思うのですが(そもそも著者は批判に耐えるつもりで書いてないと思う)目に入って読んでしまった以上、批判的に読まざるを得ないのです。
安冨歩さんが書かれた「生きる技法」を読みました。
「助けてください」と言えたとき、人は自立しているという帯から、内容がアサーティブネスかな?と思い読み始めたのですが違いました。
知識人による知識人のための本?という感じ。
アサーティブネスとは、自分が患者さんに身につけてほしい「伝える技術」のことです。例えば血圧を記録して、ありのままを見せましょう、というのも技術の一つですし、他院の明細領収書を見せましょう、も伝える技術です。「助けを求めるための話法」なのです。
しかし彼は京大に入るほどの知性がある人なので「人に何かを伝える技法」は備わっていたらしく残念ながらそれらは書かれていませんでした。内容は「辛くならないための考え方」です。独りよがりにならないための考え方。すごく頭のいい人はこういうところで躓くのかもしれない、という事がわかります。
良いことが書いてある反面、彼自身がネグレクト(自分を大事にしない)経験があるために内容はハッピーではありません。
したがって読むことは勧めません。帯の言葉は魅力的だけど。
啓発本は読み手を選びますね。小説はでも、あんまり選ばない気がします。カズオ・イシグロは、良い小説とは読み手を選ばない(普遍的)ことだと言っていた気がします。自分は患者さんと考えを共有する機会が多いため、それを実感しています。啓発本的な説明の仕方は非常に相手を選びます。小説的な(ナラティブな)説明の仕方は相手を選ばない印象を持っています。
自分が読んでみましたので、役立つかもしれない考え方を紹介します。自分の意見もだいぶ入ってますが、より普遍的っぽく捉えたらこうなんじゃないか?みたいな書き方をしてみます。
#1
「自立する、とは人に上手に関係性を作ることが出来る事だ」という事実について彼自身非常に驚いています。頭のいい人は孤立しがちだとは思うのですが、最終的に孤立しても構わないと思うんでしょう。それは違うんだよ、という事を彼はいくつかの体験から理解していきます。さて、彼の想像ではお互いに助けあう理想社会があるようです。しかし実社会では片方が頼る一方になる場合もあります。それはそれで別に問題ないと自分は思います。しかし彼はそうは思っていないフシがまだあって、バランスが成立する世界があるような書き方をしています。バランスをとることが目的だと変な感じがします。人と人とが関係性を持っている、だけで良いと思います。
#2
友人を作るとき、あるいは頼れる人を見分ける方法として、「破壊するタイプの人か創造的なタイプなのか見分けなさい」というのは良いことを言っていると思います。ではどうやったら見分けられるのか、ですが普段の言動ではなかなか見分けられません。(彼は見分けられるっぽいことを書いてますが、自分は違うと思います。SNSで罵詈雑言言っている人でも、根は親切だったりするので)ただ、破壊的な人に創造的な事を言うと怒り出すかもよ?というのは良い気づきだと思いました。例えば「これやってよ」と言われたときに「もっとこうするほうが良いのでは?」と提案したりしますよね?そのときに怒り出すような人はだめだ、というのは自分は「あるある」と思いました。ただし、怒らない人にも注意は必要です。安冨歩さんは別の著書で「東大話法」「立場主義」を批判してるのですが、東大に行くぐらいの人だとなかなか怒り出してはくれないのです。(東大話法とは批判について承知しましたとか言いながら全然主張を曲げないような話法のことで官僚がよくやる、と安冨さんは批判しています)したがって、非常に頭のいい人が本当に親切なのかどうかっていうのはわかりにくいのですね。とりえあずちょっとぶつかったときに、創造的な着地点を乱す事ができる人は稀有ですが、見つけたらぜひ友人になってもらいましょう。
#3
「自分を愛すべきだけどナルシシズムに陥るべきじゃない」も良いこと仰っていると思いました。社会的に成功するにはナルシシズムは有効みたいな観察研究は沢山あるのですが、非常にメンタル的に怪しいし、あるいは他人のメンタルを壊してしまうのでナルシシズムはやはり危険かなとは自分も思います。ナルシシズムというのは過剰に自惚れることですが、そこに欺瞞だとか、独占欲だとか、色々弊害があるわけですね。能力が高い人ほどナルシシズムに陥りやすいのでその警告なのかもしれません。逆に難しいのは自分を素直に愛することだと思うのです。その方法は書かれていません。よく言われるのは親など誰かから愛されている自分をシミュレーションするというものじゃないかなと思います。それはそうなんだと思うのですが機会に恵まれなかった人たちが素直に自分の事を素敵だな、と思える方法がないんだろうか、といつも考えています。外来ではすべての方の「良いところ」を見つけて「ほほー」と感心するようにして、それを一生懸命伝えるんだけどなかなか難しいです。僕はとても人を見る目があるし審美眼もあるし嘘を言わないし言語化能力もあるので、自分に褒められたらそれは相当のもんだ、と自信を持ってほしいのですが。
#4
貨幣は要らないという考え方に関して書かれています。これについてはコンヴィヴィアリティという考え方を素直に書いたほうがわかりやすかったかなと思いました。イヴァン・イリイチさんが有名です。最近だとカナダでお金なしでずっと生活している方が話題になりました。そのうち紹介します。結構積読があるので笑。この本ではハイデマリー・シュヴェルマーさんを例に挙げています。この方はお金との縁を断ち切るために「人の家の留守番をする」という事で生活をされているという事でした。お金は稼ぐことよりも使うことがとても難しい、と考える人が多くいて、真面目に考えると本当にそのとおりなんですが、「お金がないほうが楽なんじゃないかな」との結論に至るのはわからないではないです。でもお金で困っている人には響かない話かなと思いました。
#5
自由に生きる、ということについては何を言いたいのかがわかりませんでしたが「内なる声を聞け」という事かなと思いました。内なる声を聞くのはとても難しいことで、それ自体可能な人が多くないんじゃないかなと思います。とことんまで自分を見つめる、という事は大切なのではないかと思いますが複数のカウンセリングを受けてみたりするのは現実解かもしれません。困ったりしたとき、自由じゃないなと思ったときに、コーチングを受けられるというのは非常に恵まれていることですが、理想的にはそれかなと。
#6
夢の実現になるとますますわからず。自分はあんまり「~したい」と思ったことがないので。ただ、夢というゴール、能力がある人にとっては達成できてしまうでしょう。しかし、あとには大して何も残らないですよ。途中であったいろいろな事は自分の糧になりますから大切に、という事が書いてありました。夢に向かって死ぬほど努力するのは良いかもしれないけど、それが辛いのであればあんまりよろしくなくて、「現在幸せだよなあ」と感じる事が出来るように生きるのはどうだろうか、と。幸福のものさしが時々人から押し付けられたものなので、それは本物の自分のものさしかどうか見極めましょうね、的な。夢がないこと自体は全然悪いことじゃないと僕は思います。
#7
自己嫌悪という感情はあまり良くないのですが、それが他人から押し付けられた感情である、というのは良く理解ができます。SNSが若者にとって危険だとすれば、親、教師以外がその良くない感情を押し付けてしまう可能性が大きいからじゃないかなと思います。自己嫌悪という状態に陥ったとき彼は#2における友人、あるいは頼れる人の助けを借りるんだ、と言っています。これは良いことだと思います。なぜこの章にも書くのかわからないのですが、彼は全体を通して利他主義者に気をつけろと書いています。(医者って、患者さんのために、みたいな使命感を持ってしまうと逆によろしくないみたいな議論があります)彼の経験がそう警告させるのでしょうね。なんとなくわかる。
#8
人間はどうしても衰えてしまう。成長自体を幸福だと感じているとどうしても袋小路に陥ってしまうので、成長しようと努力している自分を評価して愛してあげると楽ですよ、ということを言っている気がします。それは良く言われることですね。
批判的に読むとこんな感じですが、今Amazonのレビューみてたら絶賛されていました。ちゃんと買うべき人々が買って、響いてるんですね。響いてない自分がちょっと恥ずかしくなったりはしましたが、まあ、おっさんですからしょうがない。ここまで書いてから安冨歩さんとは誰なのか、などを調べています。
すごく頭のいい人でも結局一人では生きられませんから、どう自分と、あるは他人と仲良くしていくか、という事は人生のメインテーマにしておくと良いのかな?とは思います。でも啓発本を読むのは違う気もするんです。
GDF-15
N Engl J Med 2024;391:2291-2303 新しい論文を読むのも楽しいですね。知らない知識が増えるからです。え?割と勉強している方なのに、まだ知らんことこんなにある?がほぼ毎週起きます。
さてGLP-1アナログは革命的でした。痩せさせる、という物質です。大学院時代(30年前)から知ってる物質ではあったけれど、どちらかというとインスリン負荷せずに血糖を正常化させるという文脈でしか見ていなかった。発売されて(10年以上前)からも「食べられなくて吐いちゃう、使いにくいな」ぐらいしか思っていなかった。これが発想の転換で世の中をこんなに変えるとは。(BMI>30が普通の米国という国だから、こういう展開になった)
逆に太らせる、という物質もあるんです。エドルミズ®という薬で「グレリン」というホルモンを模しています。これはまだ癌悪液質にしか使えませんが、1錠240円程度と、ユンケルよりも安いのでして、自費診療でこれはありかなー、みたいには思います。自分はそれで商売する勇気がないです。
で、今すごく脚光を浴びている物質がGDF-15というものです。血液中のそれが測定できるようになったものですから、ありとあらゆる病気で高くて、「悪役」として注目されている。ただし、いろんな病気でGDF-15が高い事が死亡率を高くする原因なのか結果なのか良くわからなかったのです。
で、よくやることですがGDF-15を抑制するために抗体医薬品を作った。今までは膨大なスクリーニングをして効きそうなinhibitorを見つけてたんだけど大変な労力。今は抗体をデザインすればいいし、作れば注射薬として1本数万円〜10数万円で売れるし、だいぶ効率良く薬が作れます。
この論文ではGDF-15を抑制するヒト化モノクローナル抗体「ポンセグロマブ」が、体重増加、食欲改善、身体活動向上という具体的な臨床的利益を示したことが新規性として挙げられます。小規模なPhase 1b試験の成功を受けて、Phase 2試験でさらに確立された有効性が確認されました。用量依存的で400mg群で顕著な効果がありました。これは薬価を予想することが可能な情報ではありますね。
GDF-15は最初ミトコンドリア病のマーカーとして注目されました。久留米大学の古賀教授がそれを発見しています。
古賀 靖敏(こが やすとし) 先生(福岡県の小児科医)のプロフィール:久留米大学病院
その後は心不全、老化に伴う腎臓病、癌悪液質などのマーカーとしても注目されます。long COVIDでも高い。ストレスに関連しており体重減少が生じるそれらの治療にも光明が?という意味でNEJMに掲載されるにふさわしい新規性がある、と考えられます。ちなみにファイザー社が開発です。