共有と報酬 / 齢の所為 / コレステロール / 真空調理 / 電話とLINE相談 / バカロレア哲学
目次
共有することは報酬になるか
DAYLILYのCEO小林百絵(こばやしもえ)さんのPodcast、お喋りの相手が電通時代の友人山根さんという東大薬学部出身のデザイナー/アーティストなんですが、彼が今年の春福岡でインタラクティブなアートの展示をしていた。それを共同制作した相方が今度東京都知事選に出るんです、と言っていて安野たかひろさんだったわけです。
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「30歳になったら被選挙権があるんだから出てみないといけないな」みたいなことを安野さんが言い出したらしく、突然のことに皆驚いたらしい。Slackか何かにスペースを作って声をかけたらそこに世界中からエンジニアだとか元官僚とか知り合いが集まってきてマニフェスト作り始めて凄いんだみたいな話があり、マスコミが無視する中良い選挙戦を繰り広げました。もちろん当選は目指していないのですが、オープンソース精神ですわな。自分の好きなやつだ。
オープンソース精神の本質は「共有することが報酬になる」というものであり、それはある種の人間にしか受け入れられない報酬だけど、その人数が人類の半数を超えた時にホモサピエンスはアップデートされるんじゃないかと私は思っていて、それはすでにSFで描かれたりしているかもしれませんが、ぼやっと、現在の世界の困難の答えとして自分の中にある。
選挙ボランティアに関する先行研究で説明される動機は、きれいごとでまぶされています。市民の義務感、地域社会への奉仕、民主プロセスへの貢献だ、とされており、党派的あるいは利己的な動機を否定しています。(Why volunteer? The motivations of polling station workers on election dayなど)しかしそれが通用しないから実弾(お金や飲み食い、利益供与)が乱れ飛んだり、組織構造に依存しているのが現実ではないかとも思います。あるいはメディアに頼る。それは民主的プロセスと言えるのか。
安野さんの選挙戦は、なかなか爽やかでしたが、選挙後に参加したボランティアの人々がその体験をnoteなどで早速共有し出した。それはSlackやリアルで選挙中にはスタッフ間で体験が共有されていた範囲を少し広げたもので、もともと彼らは自分達が持つリソースも公開していたわけだから、自然な流れではある。それがエンジニアその他の共感を呼んで一定量バズった。あんな人やこんな人がこういう形で参加したんだなということがわかってとても良かったです。
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お金持ちの遊びだ、と冷ややかに見る人たちもいました。それはまだ彼らが困窮している人に手を差し伸べるという実績がないから当然の反応だけれど、次の世代が選挙に参加しやすい記録を残した、オープンにした、という実績は非難されるものじゃないです。選挙ゴロのような人々への牽制球にもなる。
話をもとに戻すと、安野さんのボランティアに関しては「共有することが報酬になる」タイプの人たちが集まっただろうな、と感じました。中には自分の行動を褒めて欲しい人もいたかもしれない。それは承認欲求と言いますが、それなしにただ自分の経験したことを共有することを楽しみにできる、というのは人類が獲得した割合良い性質じゃないかな、と自分は思っています。初期の同人誌とかはそれかな、しらんけど。文学フリマは日本だけとか聞くと楽しい。考え始めるとぐるぐるするのでこの辺で。
齢の所為(としのせい)
何年かぶりに来院した人が内視鏡をして、説明が終わってから「食べたものがつかえたんですけど年のせいでしょうか、内視鏡で何かありましたか」と聞いた。
- 「齢の所為(としのせい)」という外来での頻出単語について私は長年考えています。自分は子供の頃から人の体験を聞いて共感するということを繰り返しており、「今回はじめてだ」という感性をあまり持っておらず、したがって「齢の所為」という概念ももたない。 でも普通の人は自分の経験でものを言いますから、年をとるごとにいろんな「初めての経験」を繰り返すのでしょう。一定以上の年齢ではどんな経験をしても「年のせい(で、あなたはその経験をする機会を得たの)だ」と表現するのは論理的に正しいし、答えるのが面倒だし「はいそうです」と答えることは可能です。
- 別の考え方。症状の理由を考えて、やっぱ考えんのめんどくさいなーという時に「年のせい」にする方向。十分に器質的な疾患の除外をするのがコストに見合わなくて様子を見たい時の常套句であったりします。医者が「年のせい」を使う場合、この文脈かもしれないです。 自分は年のせいって言葉は別のいい意味での使い方、沢山の経験を積んできたがために良い結論が導き出せました、という意味での年のせい、以外には使いたくない派だけれども、神経質すぎる人のヒッカムの独断的なこじつけに対してはそれを使いたい時はあります。ただ、その十分に検討するのが面倒臭いというマインドセットが「年のせい」である、という考え方はできるので、なるほど「年のせいですね」と答えることは可能だと思います。自分で書いていてわけがわからない。
- さらに別の考え方。実際に老いを病気と捉えれば、まず視力が低下して何を食べているのかきちんと把握をしていない、箸を使って食べたのかスプーンを使ったのか知らないけれど、一回一回の量が一定じゃない、咀嚼のための筋力が低下している、唾液の量が少なくなる、飲み込む前ですらパラメーターが少なくともこれだけあって、それに加えて食べ物と食道との抵抗がとか、食道の蠕動がとか、LES圧がとか、蛇行の具合がとか、いろいろありますので、それらの複合技として本当に年のせいでものがなかなか落ちていかないという事があったかもしれない。ただあなたの観察力で結論を導き出すことは難しいかもしれません。内視鏡のあとに言うぐらいで、解像度高く検討したとは思えませんから。
ぐらいを考えたんだけれど、さてどの答えを選んだら良いのか。さらにこんなことも思う。
自分は患者さんと一緒に老いていきたいという考えも持っている。毎月診ている方とはできればそういう付き合いをしたいとは思っている。一方「完璧なサービス」を期待する患者さんも中にはいて、初診あるいはひさびさの来院あるいは父にかかっていた人に多いんだけど、さてこの方はどうなんだ。ところで数少ない患者さんは「年のせい」を「また一歩墓場に近づきました」という意味で使う。それはそれで良し。しかしこの方はそういう方向じゃないだろうなあ。
もしもただ単に「人は老いていくものだ、折り合いの付け方をちょっとアドバイスしてくれる?」という意味であれば、この方のように例えば食事が胸につかえたんなら、何をどういう状況で食べたんだかを聞いて、次回そうならないためにはどうすべきか一緒に考えていくし、実際訓練で回復する事は多いから「がんばって練習してくださる?」とお願いもする。
内視鏡は主観的な検査で、自分は特に観察力も解像度も高い。だから患者の訴えを聞いて、内視鏡所見を思い出しながらいろいろ言う事も可能かもしれないけれど、そもそも事後に言うくらいだから、癌があるかないかぐらいのレベルでお答えするのが適当であり、何もないので年のせい、とお答えすることも妥当かもしれない。
そんな諸々を脳内で処理しながら「いえなにもありません。たまたまでしょう。まだまだお若いですよ」と答えたようです。ええ、口が勝手にしゃべっていることが多すぎて。
コレステロールを下げることについて
血液中のコレステロールを下げることは動脈硬化の防止になるのみならず、癌や感染症に関して患者さんにとって有利に働きます。従って、皆さんのコレステロールを治療したいのはやまやまだけど、非常にたくさんパラメーターがあるので、患者さんを目の前にしないと何も言えないです。患者さんが医者に言われて義務感で治療しているのを見るとちょっと残念だし、薬もらってるだけとか聞くともっと残念。
自分があんまりすぐに薬飲みましょうと言わないのは一次予防の意味を理解してほしいからで薬が嫌いなわけじゃなく基本的には自分はスタチンを処方することについてはポジティブだ、という事を申し上げたくてこの短い文章を書いています。
真空調理
真空調理がプロからアマチュアのものになったのは、2014年のことです。ANOVAと言う会社が専用の機械を作り発売し、個人輸入して楽しむ人々が日本にも登場し始めました。
それ以前より、この調理法の優れた特性は料理好きにはよく知られていて、私の友人でも自作の機械で挑戦する人がいて、うらやましかったことを覚えています。
1974年にフランスのロアンヌで食肉加工業を営んでいた料理人ジョルジュ・プラリュ氏が、トロワグロ氏のためフォアグラの調理に利用したのが始まりとされます。同時期にブルーノ・グソー氏は同様の調理法で牛肉の賞味期限を延長できることを発見しており、プラリュ氏の手法に科学的根拠を与えました。1984年にパリの三ツ星レストランのオーナーシェフとして著名なジョエル・ロブション氏がフランス国有鉄道の列車食堂に導入したのをきっかけに、広く普及したとされます。要するに多くの人々に均一で上質な料理を提供するプロの手法だったわけです。食中毒が起きないことと保存期間の延長、食感すべてを満たすための。
62度でタンパク質は凝固がはじまり、68度を超えると凝固のためドリップが生じます。一方63度30分の処理で多くの細菌が生息できなくなります。したがって63-68度という温度で調理することで、滅菌と食感を両立させることが可能。ほとんどの細菌が好気性、微好気性であることを考えて、嫌気条件とするため真空パックにします。これは温度を均一にすることにも寄与します。一方で嫌気性菌の繁殖は落とし穴であり、例えばボツリヌス菌による事故が起き得ます。からし蓮根の事件が日本では有名。
食中毒を避けつつ、いかに食感を優れた料理を作ることができるのか。プロがお客様と一対一で相対する場合、フレッシュな素材を絶妙な火加減で調理することがその答えです。しかし相手が多数のお客様、調理場にも制限があるような場合が実際は多いでしょう。真空調理の登場はエポックメイキングな事件でした。
我々素人には「絶妙な火加減」は出来ません。その答えもまた真空調理でした。すぐに飛びつく人がいたのは当然です。しかし真空にする部分を端折って(日本では低温調理と紹介していることが多いのがそのあらわれです)紹介している料理研究家も数多くおられますね。均一な温度を実現できているかというとたぶんNoで、注意が必要。一般家庭ではプロのように長期保存はしないと思われボツリヌス菌のことを考えなくて良い分自由度が広がりますから、ご自分で研究してみてください。今は調理器具も手に入りやすい値段になっています。なんたってあのアイリスオーヤマが作っているくらいですから。
そもそもこの話は、「電子レンジチンでは料理が味気ない」という患者さんとの会話から思い出したものです。一度レンチンした料理はご飯を含め風味がかなり落ちるのは事実。温め直すのに、70度程度で行えば風味は損なわれず完璧で、なんなら調理もできるから、と真空調理を紹介したのでした。
これとは別に香ばしさを料理に付加してくれるのはバーナーとか燻製(フードスモーカー)かなと思います。関係ないけど、分子調理の本のリンクを置いておきます。
電話やLINEでのアドバイスの重み
「寄り添う」を感情の問題としてとらえると電話やLINE距離関係なく「ああ、たいへんですね」と共感する事は可能なんですが、「解決してくれ」みたいなことをおっしゃる方もいる。そういうコミュニケーションはどだい無理な話であって、「よくある解決策ABCのうちAでも試してみてください、あとはわからん」が距離がある場合の結果となるでしょう。
それを数式にすると下記の感じになります。dが距離、Wが影響を受ける知識。
共通した概念を持たない間柄である場合、感情はSNSを介して届きやすいが、知識はSNSを介しては届きにくいんだ、ということは常々感じます。しかし専門分野が同じである場合は異なりSNSでも十分に知識の共有ができる。むしろ言葉よりも確実だったりするのです。
したがって電話やSNSでコミュニケーションをする場合にいかに「いろいろな考え方を事前に共有するか」により、その結果が変わるのではないか?ということを考えています。Kは共有されている知識量です。
そのための鵜川医院レターと考えてはいるんですが、あんまり意味ないかもですね。AIが知識や土台の差を吸収してくれる時代がきます。あとちょっとだけ待ちましょう。
2024年バカロレア哲学の問題
選挙が人気投票である限り、ある種の堂々巡りを永久に繰り返すのかなどと思う今日この頃。選挙で揺れに揺れているフランスの大学共通試験、バカロレアの2024年の問題が紹介されていました。
2024年バカロレア試験・哲学の問題 | トリコロル・パリ : パリとフランスの旅行・観光情報
バカロレアの哲学の問題は世相を反映するなと思ったので、自分が思いつく限りのヨーロッパの現状をchatGPTに提供し、それぞれの問題に関して出題者はどういう意図があるのか、まとめてもらい、それをさらに直しました。こう見てみると、哲学の問題は、日本の大学の小論文よりもはるかに難しい反面、準備しやすいと言えるかもしれませんね。その時の世相を深く考えてさえいれば良いので。
一般バカロレアの問題
- La science peut-elle satisfaire notre besoin de vérité ?(科学は私たちの真実への欲求を満たすことができるか?)
- 背景: コロナウイルスのパンデミックに伴う科学的知識の重要性、反知性主義、アンチワクチン運動、そしてAIの進歩。
- 意図: 科学がどの程度まで真実を提供できるのか、その限界と可能性を問いかけることで、現代社会における科学の役割を再評価する機会を学生に提供する。
- L’État nous doit-il quelque chose?(国家は私たちに何かを負っているか?国家の義務とはなにか)
- 背景: グローバリズムに対する反抗、ポピュリズムの台頭、富裕層と貧困層の格差拡大。
- 意図: 国家の役割と責任について考察することを促し、現代の社会契約の再考を促進。特に、国家が個人に対して何を提供すべきかという問いを通じて、公正な社会の実現について考えさせる。
- Commentaire de texte : Simone Weil, La Condition ouvrière (1943)(シモーヌ・ヴェイユ『労働者の条件』(1943年)の一節を解説せよ)
- 背景: 労働条件の悪化、労働者の権利問題、経済的不平等、フランスの高い失業率。
- 意図: ヴェイユは教師から労働者に転じ、その過酷さを経験して著作をなしました。彼女は労働者が「機械に従属する」感覚は不安の原因となり、労働者が自由意志で仕事を選んでいるように見えても、その実、厳しい労働条件に縛られていると指摘しました。労働者の権利と労働条件の改善に関する議論を促進し、さらには失業問題にも言及させる意図があると考えられる。
技術バカロレアの問題
- La nature est-elle hostile à l’homme ?(自然は人間にとって敵対的か?)
- 背景: 気候変動、環境問題、自然災害。
- 意図: 自然と人間の関係を問い直し、自然に反抗してきた我々が持続可能な社会を目指すための環境倫理の重要性を考えさせる。
- L’artiste est-il maître de son travail ?(芸術家は自分の作品の主人たりえるか?)
- 背景: AIによる創作物の増加、クリエイティブ産業の変化、著作権問題。
- 意図: 従来からある芸術論に加えて、芸術と技術の交差点において、創作者の役割と権利について深く考察する機会を提供。
- Commentaire de texte : Platon, Les Lois IX (IVe siècle av. J.-C.)(プラトン『法律』第九巻(紀元前4世紀)の一節に解説を加える)
- 背景: 現在のフランス国内の政治的混乱と民族間対立。多くの暴力事件が国内で無法であるかのように行われている事実。
- 意図: この抜粋では、法の必要性とそれに従わない場合の結果について議論され、特に、無法な状態がどのように社会を混乱に陥れるか、そして法律が秩序を保つために不可欠であることを強調している。受験者はプラトンの視点を現代社会に照らし合わせて考察することが求められる。
まとめ
2024年のバカロレアの出題者は、現代社会が直面している多岐にわたる問題に対して学生に批判的かつ深い思考を促そうとしています。もちろん特定の答えは求めていない。しかしこれらの考察を通じ、学生たちが現代の複雑な課題に対する洞察力を深め、未来のリーダーとして社会に貢献するための基礎を築くことを期待していると考えられます。しかし過去にこの手の問題を解いて育った人がリーダーになった現在においてなおこの混乱、という堂々巡りから、知性で社会を動かすことは簡単ではない、という現実が垣間見えます。