monje / 小難しいクリニック / かつて当院で診ていた方々が老いなかった理由
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monje 文殊
自分よりも二回りぐらい若い賢者から「一度お話してみませんか?」と誘われて、Zoomでミーティングをしたんですが、そこでお話をしたのがスターダストレコーズ(SDR)の©MeMe Meetsというレーベルに所属している”monje”というアーティストの皆さんでした。
MeMe Meetsというレーベルはアート指向が強いという位置付けで、”monje”のお三方は東京藝術大学に在学あるいは卒業しておられ、それぞれに得意な分野があります。そしてミーティングでは「アイデンティティの境界を考えたとき、身体のどの部分が、自分と言えるだろうか」的なお題で話したんじゃないかな、と思います。あとはいろんなモダリティの話とそれで見えるものです。
アートの精鋭3名が集うクリエイティブグループ・monje。音×芸術が融合した先で目指すもの
数学的には胃腸の中は身体の外のはず、なんです。ちくわの内側の壁で囲まれたトンネルの中はちくわと言えるのかそうじゃないのか、と考えてみて下さい。そういう内か外か、という議論は、中学高校あたりで数学が好きな人達がよくやりませんか?自分たちは高校のころに結構そういう話をしていたように思います。なので、例えば胃みたいな消化管の中は身体のinsideなんだけどもoutside的でもある。そんな事を話していたように思います。疾患理解にもつながる深い話です。このおっさん何を言っているんだ、と思われたかもしれないのですが。
アート、自分が56年の年月で理解しているアートというのは、①作者から一旦離れ、②第三者である受け手により意味付けがなされる物事、そういうものです。その意味づけは時に作者に還っていき、ときに自身が傷つく危険性を孕みます。そういう覚悟が出来ない年齢でのデビュー、例えば若いアイドルが「アーティスト」と自称することに自分は否定的なんだけど、それはまた別の話です。
そして”monje”のみなさんと話したときに、歌詞を書いている小牧果南さんが「自分は作品でアイデンティティの境界を探っており出来れば鑑賞者と触れるほど近づきたい。傷つく可能性もあるがそれを厭わない」という意味の事を仰っていて、いたく感激してしまったわけです。そして彼女が「身体の内部のビデオや、そのビデオから起こしたフォトグラメモリの公開と音楽を結びつけるようなこと」をしてみたいとのことで、可能な限りご協力します、みたいな事を申し上げました。
撮影は2022年末あたりに。解像度や画像処理のしやすさなどを考えると、面順次でない方式が良いのですが、それを自由に使わせてくれそうな施設は当然ない、と考えると鵜川医院での撮影がベターな選択でした。鎮静剤の量決めと発想創出のためのリハーサル、そして本番の2回、内視鏡をお受けになるという根性には感激したなあ。
その後2023年2月、小牧果南さんが大学を卒業されるとのことで、その卒業制作を拝見させてもらいました。東京藝術大学の卒業制作展示はいつも人気があって、プラチナチケットなのですが小牧さんのご配慮で堂々入場。嬉。多くの作品に刺激をもらえました。もしも若い才能に触れたい人がいらしたら、頑張ってチケットを取りましょう。
さて彼女が「からだ」に関して何年も考え続けているのは前述の通りです。 彼女の卒業制作は、5cm角ほどの紙石鹸に自分の身体(セルフヌードを含めて7バージョンある)を等身大でプリントし、層状に並べ、「お好きな一枚をとって、その紙石鹸で手を洗って下さい」と来場者にはたらきかけるものでした。

自分のからだと、来場者を究極に近づけ触れ合う方法、を考えてそうなったという事。自分と他者との距離、についてずっと考えているのだそうです。これ、人間にとって重要で本質的な問いですからね。
自分と他者との距離
芸能人やアイドルが広い意味でのアーティスト、と言えないのは、作品が他人によって自由に解釈され得る事で表現者自身が傷つく危険性に関する覚悟がない事によります。しかし意図せずに傷つけられてしまうことがある。というのも芸能人やアイドルは、一方向ではあるが自分の極めてプライベートな部分、あるいはプライベートとして偽装した一面を他者に公開するという事を行い、そこから生まれる情動をエネルギーとしたり、お金を得たりしているわけですが、インターネットの普及であまりにも多くの人々と距離が近づいた結果、様々な反応に触れてしまいその結果、傷つき、自死する人が少なくないという問題があり由々しきことです。
一方で学校ではクラスメートであってすら疎遠、という距離感がコロナ禍で現実のものとなりました。それによる感情の欠如、エネルギーの枯渇は特に若者には大きな負の影響を及ぼしていてとても悲しい事です。そのエネルギーを再充填するためには、人と人との距離を近づけるというアプローチがとても大切に思う。
そういう時代環境の中で、自分の存在を人々にオープンにし、自分が傷つくリスクを負い、距離を近づける事を決意した小牧さんの精神にまずは拍手を送りたいのです。
そして2023年8月20日、MVがリリースされました。リツイートやチャンネル登録をしてほしいと思っています。
以下、つらつらと思ったことを。
- この曲「mi」(me、身、などの意味)の歌詞で、「曖昧でつぎはぎのような」とあるけれど、卒業制作作品は「まさに曖昧でつぎはぎな」姿であって、一方で中国の「金縷玉衣きんるぎょくい」を彷彿とさせる。形態としてもとても面白い。

- 肌、傷ついた肌、ニット、黒衣などをプリントして数層の紙石鹸を置く手法は、量子力学で出てくる概念「重ね合わせ」を想起させた。観察するまでその状態はわからない、それがすなわち「曖昧」を意味するなあ、などと。
- 様々な体のパーツのうち、「手」や「顔」をまずみなが手に取り、手を洗うので先に無くなっている。その部位が人気があるという事実も、人間の行動原理を示しており大変に興味深い。「顔」はわかるが、「手」はアイデンティティのうち、重要なパーツなのかもしれない。握手には大きな意味がありそうだ。
- Tatooシールで石鹸に写真を転写できる、という気づきが素晴らしくて、それが表現の幅を大きく広げた。
- 石鹸と肌の質感の類似:石鹸の制作自体、動物を煮て、油を得て、それに水酸化ナトリウムを加えたりして出来るの。クジラの石鹸などはそれ。かなり動物的なものだ。鑑賞者により近づいた、と言えるかもしれない。
- 新型コロナ時代の「洗わなければ人に触れられない」というなんとない物悲しさと、「触ってから洗う」というような逆の行動と、近づいておいて、遠ざかる、みたいな対比から人間について考えさせられる。自分は診察のあとにも手を洗うのですが、その姿を患者さんが見て「ばっちいから洗ってるのか」などと思われないかしらとちょっと思った時期もあった。
- 手を洗う時には水を結構使う、その資源の無駄があまり語られていないけれど、排水タンク(彼女が1時間に1度ほど、水を取り替えている)を片付けねばならないとう労苦が、それを示している。
みたいな事を悶々と考え、この作品が新型コロナ、ポストコロナをぎゅっと凝縮したような世界であることに感嘆しつつしばし想いを馳せました。 こういうぐるぐるが多いのは稀有な体験であって、本当に素晴らしい人と出会うことが出来ました。
小難しいクリニックへ、ようこそ
エコーの映像を見ていた患者さんが、「これは白黒ですが、カラーにはならないのですか?」と言った。
「これは音で見ているわけですが」
「音?」
「音です。波ですね。単一の波長の音(最近は違う)を照射して跳ね返りを記録している。そのデータは1本のうねうねっとした線で描けるわけですが、これが1次元的だとしますと、これを束ね集合にして次元を1段階上げます。これにより2次元的になりまして、平面上に強弱信号で白黒映像を作ることが可能です。(時間で束ねたものをMモード、複数の信号を束ねるとBモード、と呼びます。通常はBモードです)それが今見ている画像です。さて、さらにそこにカラーで情報を加えようとしましょうか。ところがいろいろな画像処理をしてカラー化することは可能でも、擬似カラー化は『ほんとうじゃない何か』が写りやすいのですよ。例えばですが、音波の跳ね返りをさらに時間軸で計算しなおして、つまりさらに1次元上げカラーを入れたこういう画像にしてみます。血管が見えますよ。どうですか」
「おお、カラーだ」
「ですよね。でもノイズが多くなるのわかりますか?」
「ああ、わかります」
「したがって、擬似的に次元を1つ上げる事は、うそ、つまりノイズが増えることとトレードオフ関係にあるわけです。ざっくり説明しましたがなんとなくわかる?」
「わかんないけど、なんとなく」
「将来的には精度を上げ、常にカラーでいろいろな情報が出せる可能性はあるものの、現状ではノイズがあっても構わないから、他の情報がほしいな、という時だけカラーで見ます。(脳の処理能力的にも、主に形状や模様で秒間10回ぐらい見て判断しているエコーは白黒のほうが脳が追いつきやすい。カラーの情報でぼーっと全体像を見ている内視鏡とは違う)」
「つまりカラーで見ているときはやばいということですね」
「血管などルーチンでカラーで見たい臓器はありますが、大まかな理解としては正しいです。あと肝臓や乳腺など、硬さをカラー化する、などのやり方があります。今日は明らかに異常がないのでしませんが」
なんでこんな難しい説明をいつもしてしまうんだろうか。「できますよー」で良いのに。
何十年も過去に胃をずっと見ていた人々が老いなかった原因は
全員鬼籍に入られました(入っていない人がいたらごめんなさい)が、かつて当院で拝見していた昭和一桁生まれ、大正生まれのみなさんが全員矍鑠(かくしゃく)としていた印象があります。共通点は、定期的な内視鏡と、セルベックスを飲んでいたことなんですが。
原因は明らかで、鵜川医院に遠くても(神奈川県全域、静岡、東京から来ていた)粘り強く毎月通うぐらいの根性や体力がある人が元気じゃないわけがないってことです。ピリオド。しかも僕が診ても何にも言わないんだ。要するに外来を楽しんでいる。
他に理由があるのかなと考えると、やたらと胃薬を使っていたことで、主にセルベックスなんですけど、これ強い抗酸化作用があるのでポリフェノール的なものなんだろうと。ほとんどの粘膜保護系の胃薬は抗酸化作用を持ちます。意味がない、と言われつつも抗酸化は悪いわけないだろう?と後ろ向きコホートはしてみたかったテーマです。実験でセルベックスに抗がん剤による間質性肺炎予防効果がある報告もあるし、高級化粧品にセルベックスの成分テプレノンが配合されていたりして、さもありなんと思う。
内視鏡検査そのものは元気さと関係ないと思うんですが、かつて使われていた色素にやはり面白い作用がある。メチレンブルーは平成以前に色素内視鏡で用いられていました。現在もマニアックな先生は使う。
インジゴカルミン(現在よく使う色素)の登場で、尿が青く染まる特徴があるメチレンブルーは患者説明が面倒だから使われなくなって行きましたけれど、腸上皮化生を見るために使われる事はあって、本当は今でもSSBE(バレット上皮)はメチレンブルーで染めたい。面倒でしませんが。
メチレンブルーには抗菌作用もあり、内視鏡洗浄がきちんとなされていなかった昭和30−40年代、内視鏡によるピロリの平行感染を予防していたと言われてもいます。インジゴカルミンの登場で内視鏡後の急性胃炎の報告が増えたのがその推測の根拠です。その後内視鏡はきちんと洗浄されるようになったので関係ない話になりました。
現在はほぼ使われなくなったメチレンブルーですが、有害事象は記憶にある限りあまり報告されていないはずで、記憶力がよくなるのであればおしっこが青くなるだけなので試してみたいところ。
上部内視鏡検査を昭和50年以前に受けた人々には何らかの利益があったのかもしれない、元気の素だったかもしれないなあなどと夢想しております。