疲労感 / 幸福度 / 抜歯前のビスフォスフォネート / 医師国家試験 / 話し方 / 電子処方箋
目次
疲労感、が難しい
患者さんが「年のせいか疲れやすい」と言った。 「うーん」と僕が考えていると、「そんなに悩まないでください」と労われてしまった。申し訳ない。
疲労は測定できるのか
いや、大切だし、今まとめておけば役立つ気がするので考えさせてください。
18歳を過ぎれば人の機能は必ず落ちていく。直線的にであることが多い。それを自覚するような人生を送っているのか。その機能が落ちないようにトレーニングをしているのか。その努力を語らせると「長くなる人」が長寿の人には多い、という気はしている。それは結果論なので、あまり外来では役には立たない。
まず体重、何がなくても体重が重要だ。普段は癌と認知症とうつ病を見つけるのに案外役立つから聞いている。いつも同じ運動をしている人についてはそのパフォーマンスが下がったかどうか。予想を超えて低下した場合病的と考える。筋肉量、これは体脂肪計で測定している人が少なく困る。(最近BMIよりも体脂肪計による体脂肪率のほうが役立つという研究が出てきた)しょうがないので足の太もも(膝から10cm上)で自分は見てます。あまり役立たないのは睡眠の時間や質。ただし、その人の考え方が色濃く出るのがそれであって、聞かないわけではない。サプリメントにはその人の不安があらわれる。食事の量。あとなにかあったっけ。
疲労度の定量的な評価
ざっと調べてこういう評価法があると知った。RCTもメタ解析もほとんどない。
- 疲労尺度(Fatigue Scale):疲労を定量的に評価するために開発された尺度。疲労の程度や影響を質問項目で評価し、スコア化する。Chalder Fatigue Questionnaire (CFQ)などがあり、年齢層や疾患ごとに質問はいろいろ。明らかに病的な場合使われる。
- 行動評価(Performance Tests):疲労の影響を実際の行動によって評価する。例えば、反応時間やミスの数、運動能力の測定などを用いて、疲労がどの程度行動に影響を与えているかを測定する。自分の場合ゲームのスコアでその日の調子がわかり、少し調子が悪い時は仕事を少なくします。
- 生理学的指標(Physiological Indicators):疲労は生理的な変化と関連しているため、心拍数、血圧、体温などの生理学的な指標を測定することで疲労度を評価することができる。また、睡眠の質や量も疲労度に影響するため、睡眠パターンの評価も有用。スマートウォッチやExcelが使いこなせる人(私に使い方を聞くレベルでは残念ながら)にのみ外来でこれらのチェックを行っています。例えば心拍数の変化を見ると疲れの度合いが分かる場合があります。
- 記録法(Self-Reporting):日誌や記録を使用して、疲労の程度や発生時期、環境要因などを自己報告する方法です。個人の主観的な経験を定量化する手段として有用です。外来でお勧めする方法はこれ。勝手に長生きする人たちは、この能力が高いか、めちゃくちゃ鈍感か、どちらかの傾向があるんじゃないかと思います。中途半端に「医者に質問」は結局やる気を失うだけのような。
これらの方法が疲労度を定量的に評価するために使われていますが、本当はどうなのか良くわからないし最適な方法は評価の目的や状況によって異なるんじゃないかと思います。
疲労や睡眠について語るなら2週間単位
大切な事ですが、自分はこういう話題は好きで、むしろ患者さんの考え、仮説、考案し実践している解決法を喋りたいならいくらでも聞きます。しかし患者さんが「疲れやすい」しか言わず僕に良い感じで答えるように、というのは外来の時間の使い方としては不適切に感じます。
お腹のことも、睡眠のことも、疲労のことも、患者さん自身が主体になって考えていかねばならないことが多く、2週間ごとぐらいにインタビューが行われないと有益ではない、解決しにくいと思っています。病態がしっかりわかった病気、例えば高血圧などについては長期処方でコントロールするのは当然のことなのですが、漠然とした捉えどころのない不調に関してはなるべくまめに外来に通う時間を作ることをまず考えたり、記録をひたすら行うのが第一歩ではないかと考えます。
「疲労感」について以前、そして今も思っている事
シガテラ毒中毒を診断したことがある。父が患者さんを問診しているのを背後に聞きながら、そのキーワードをGoogle検索したらbingoだったのだ。そこで考えたのはこういうこと。本が書けそうなぐらいたくさん勉強したけれど、まとめると。
シガテラ毒の合成は芸術 シガテラ毒は高分子すぎ分解ができない だからひたすらウォッシュアウトするまで待つしかない そもそも「毒」とはレセプターに強く付きすぎ分解しにくい分子すべてを指す、という定義で良いのでは? そのウォッシュアウト期間は半年ぐらい 慢性疲労症候群と似すぎ、しかしドライアイスセンセーションが違いすぎ ナトリウムレセプターという、ほとんど教科書にでてこない受容体につく だがその「疲労感」はめっちゃ疾患を理解するヒントじゃないの? と、慢性疲労症候群を勉強している先生に言ったが食いついてこないから良いや 慢性疲労症候群患者で検出されたシガテラ抗体って? 実はナトリウム受容体自己抗体に対する自己抗体なんじゃないの?(解決) いや知らんけども
幸福とはなにか
現代の終末期医療では村田理論というものがあって2003年ごろから世の中に出てきました。自分に未来があること、自分で決定ができること、人とつながっていること、この3つが精神の幸福を支えており、それが喪失することをスピリチュアルペインと定義しています。小澤竹俊先生(横浜のめぐみ在宅診療所)に教えていただいてから自分も患者さんの幸福はこれを軸にケアしており、破綻のない良い考え方と感じています。2011年に発刊された安冨歩さんの「生きる技法」はアサーション(弱者が幸福を求めるにはどうするか)の勉強のために読みましたが、これも通じるところはあります。遡って1982年に書かれた吉野源三郎「君たちはどう生きるか」は自分はチラ見しかしていないのですが、根底は同じかな?と思った記憶があります。みなさんは映画でご覧になるかもしれません。
アランの「幸福論」
「アランの幸福論ご存知ですか」と聞かれ「存じ上げてます」と答えたものの、それは読んだと言う意味ではないので「読んでおくべきか」とすぐさま思ったわけです。たまたまKindle Unlimitedで読めるので、本棚(Kindleの)に入れるのには30秒とかかりません。すごい時代になりました。
そして「おや、難解だぞ?」と思うのにも1分もかかりませんでした。頭の良い人の文章には無駄がないはずですが、つい小説同様に読み飛ばす(小説も読み飛ばすなと言われそうですが)からわからないのか、翻訳された当時とは使う言葉も微妙に違うだろうし持っている教養も異なるからでしょうか、素直に頭に入ってこないのです。こういう時は一度Wikipediaを見るに限ります。なるほどアランが「体系化を嫌う」とあれば、ユングと共通していると感じます。時代も同じぐらいです。背景には性善説がありそう。よし、読める気がしてきましたよ。
憂鬱
第5題「憂鬱」を自分の解釈で書き直してみます。
1911年、第一次世界大戦の直前である。フロイトとユングが国際精神分析協会を設立してまだ仲が良かった頃だ。ヒポクラテスが尿管結石の手術を禁止(したわけじゃないが、彼は外科を下に見た、ちくちょうめ)したおかげで治療がやっと可能になったのは18世紀以後のことで、20世紀初頭ではまだまだ尿管結石=痛さに絶望、という状態だった可能性はある。ただし1893年に痛み止めのフェナセチンは販売開始されているわけだから、大袈裟に嘆く必要も、とは思う。 とにかく尿管結石になった友人がふさぎ込んでいる。さて、彼をどう元気づけようか。 「君は尿管結石という病気は非常に痛いことを知っているわけだ。だから君は自分が今辛い目にあっていることに驚く必要はなくて、残念ながら必然なんだ。だから少なくとも辛い目にあっている事で機嫌が悪くなる理由はないと思うよ」詭弁だがそんなことを言ったのだ。 賢明なる友人は幸い笑い転げてくれた。詭弁と言ったが、自分はまあまあ良いことを言ったと思う。痛いとか苦しいという肉体的な辛さと、機嫌が悪いとか悲しいという精神的な辛さは別の軸にあるよ、ということを彼に提示したわけだ。彼は賢いので気づいてくれた。そして病に苦しむ人はしばしばこれに気づかない。辛い最中に冷静になれないのはしょうがないけど、病になる前にそれに気づいているかどうかでずいぶんと違うかも知れないよ、と思ったわけだ。 病によって色々な障害がおきると、それが自然に悲しみとして表出されることがとても多く、それが不安に変化してくる。(これは世界大戦前の不安の考え方として正しいです。世界大戦後は不安という言葉の定義は変化しますが) もちろん体の病によって心の中に棘ができ、それが精神を傷つけるから悲しいんだという考え方をする人がいるかもしれない。因果があるんだ、と考えた場合にはその棘を避ける方法はあるんだ、と考えることはできる。 一方で、病気で不安症とかうつ病とかいう人たちはどうだろうか。彼らはかわいそうな事に、自分で自分を傷つける棘を常に作り続けてしまうので避ける事が難しく、そのままでは癒されることはない。そのときに棘の原因を考えることは解決には役立たない。体の痛みを我慢するように心の棘に抵抗せずにじっと我慢し、日にち薬で改善するのを待つのも一方。現代のようにその棘を和らげるSSRIやメジャートランキライザーなどがない1911年には、悲しみに対する処方の一つは「祈り」であろう。あらゆる思いを巡らすことをやめて無心に祈ることは、心に嵐が吹き荒れた時に大変な武器になる。(残念だけどその後「神は死んだ」という時代になります) しかし不安症の病気でない人の話に戻すけれども、人は良識でもってそれらの不幸を考え続ける愚かさからまぬがれることができるし、そうあってほしいとも思う。(これはその後登場する実存主義の萌芽的考え方ではないかと思う)
うん、なんとか読めた気がします。だいぶ変えたけれど、意味は同じじゃないかなと思います。アランは愛に溢れた人(先生)であり、この本が人の心をとらえて離さないのはよく理解ができました。その次の第6題「情念」では、悲しみのような感情に、論理性を求めたり因果関係を考えることはそもそも矛盾しているよ、という事を書いており、それに気づけば悪循環を断ち切れるのでは?という展開になっています。第7題「恐れは病気だ」は1922年、彼が第一次世界大戦にわざわざ志願して従軍(しかも戦争の悲惨さを体験するために!そしてのちに戦争を批判します)し、そこで出会った不思議な砲兵の話からはじまります。人間が予言らしきものに引っ張られてしまうこと、だから占いや神託のような自分の精神に影響を与えるものは避けたい事を述べます。そして診察室での色々なデータは患者を二重に病気にしかねないと言います。(治療法がない、あるいはそれが患者のモチベーションにならないならまさにそうなのです)病気を並べ立てて説明する医者は本当の医者じゃない、本当の医者ならば患者に「どうですかあなたの具合は?」と健康を委ね、その答えなんか聞いちゃいないものだ、と皮肉(あるいは真実)を言って終わります。こういうお題の並べ方も工夫されていて良いですよね。 ただ、このアランの幸福論にスピリチュアルペインの論理を加えるとだ、アランが言っているのは「自己決定で、病の辛さを代償せよ」なんだけれど、アラン自身が友人に寄り添っているんですよね、そこで三本柱が完成しているんだっていう事実が大切なのですよ。うん、良いことを言った気がするぞ。
スピリチュアルペインにどう対処するか
先ほど、幸福は、自分に未来があること、自分で決定ができること、人とつながっていること、が大切なんだ、三本柱なんだと書いたのですが、死期が迫っている時には未来が失われ、スピリチュアルペインで傷ついた状態です。その状態の患者さんを支えるためにどうすべきなのでしょう。 それは他の柱を太くすれば良いんです。自分で決定をする側面を強化する、あるいは人とのつながりを強くすることで癒しになるんです、と小澤先生から教えていただき、納得をしました。つまり3つは必須の要素ではあるけれど、失われた時には他を強化することで代償できるんだと発想することでケアの方向性が見えやすいわけです。
抜歯前にビスフォスフォネートは中止しない、のニュース
ビスフォスフォネートなどの骨粗鬆症の治療薬を服用中に抜歯などの歯科処置をすると顎骨壊死という副作用が稀に起きることがわかっていて、抜歯前中止とか、そもそも抜歯しないとか、歯医者さんの対応もまちまちです。今度ガイドラインで「中止しないで」そう決められるらしいです。そういうニュースの意味って、ビスフォスフォネートが大丈夫だったという事を示しておらず、「合併症があるかもしれんがそれはそのときで」という誰かの(ギルドの?学会の?)決意表明なわけです。例えば最近は内視鏡時抗凝固薬は中止しないで生検などしますが、「出血するが、それはしょうがない。あとで入院して治療」という決意表明なのです。だからそもそも入院ができる医療機関じゃないとハイリスクの患者さんは検査ができないし、本来はその分大きな医療機関の検査費用は高く設定すべきだと思っています。
ビスフォスフォネートで顎骨壊死が起きる人はどういう人?例えばこういう説明はどうか。
骨粗鬆症で広く使われている薬ビスフォスフォネートを使用している際、歯科的な処置をきっかけに顎骨壊死という副作用が起きる事が稀にあるとされていて、薬を使っていると抜歯はしません、みたいなことを仰る歯科の先生もおられる。でもそれじゃあ感染のために壊死が起きる可能性がでてくるわけで、解決になっていない。 骨粗鬆症と歯のトラブルは、年齢が上がると同時に生じる事があるあるで、じゃあ、1年効果がもつビスフォスフォネートを注射をしてたら歯の処置はしてくれないわけ?という矛盾が起きたりもするのです。この問題は避けては通れない。これに対して学会では「そもそも感染がおきないようにするのが大切なので歯周病予防してください」と書いているがこれも解決策ではないですよね? したがって「中止はしない」という決定を自分は支持するわけですが、でもそもそも顎骨壊死こういう人に起きるのでは?と思っていることがあったりするのでそれを患者さんには説明しています。
患者さんとの会話
「ビスフォスフォネートって薬あるじゃないですか」
「わからない」
「あなたが飲んでいるボナロンもその一つで」
「ああ」
「歯の治療に気をつけろとか」
「言われたことあります」
「どうしてか知ってる?僕わかっちゃった」
「いや」
「薬が効き過ぎてる人がだめなのよ」
「どーいうこと」
「いや、ボナロンであなた骨増えた?」
「それが増えないんだわ」
「ていうかどこで測ってる?腰?踵?」
「りょーほうかな?」
「あごで測れば良いのに、あのね、骨の中ってさあ、めっちゃくちゃ血流がいいはずなのよ、本来は、子供とかさあ、点滴が入らなかったら脛に垂直に針刺して点滴するって方法がある」
「やめて、いたそう」
「それがさあ、ボナロンが効きすぎるとするじゃん、骨が必要以上に増えたとして、密になってしまうと、血流が悪くなる事があるらしいんだわ」
「ほーほー」
「そこに感染が起きたりしたら、治りにくい気がしない?」
「ああそうね」
「そんで壊死」
「ああ」
「すっかすかの骨のままなら、血流は悪くないから、たぶん顎骨壊死の合併症は起きない」
「それ喜んでいいのか悲しむべきなのか」
「って、思うわけよ。だから僕は顎で骨量を測って合併症のリスクを知るとか、ビスフォスフォネートの量を調節しろとか思ったわけだ。ある日」
「へー、それほんとう?」
「いや、僕が頭の中で思ってるだけ」
「なーんだ」
「でも、骨量が増えていないと聞くと、顎骨壊死の副作用が出にくいんじゃないかと慰めたいかなと思ってこの話をしました。ちょっと安心した?」
「うーん、それがほんとなら」
「でもパントモっていう歯の写真があるじゃん。あるのよ。これでやけに顎の骨が増えてるぞってときは、合併症を気をつけるようにするとかそういう発想でやれば、患者さんも納得して安心するかな?って思ったんです」
「そーなんだ、で、私は大丈夫なの?」
「そう、多分大丈夫なのではないかと思います。もともと稀なのよ。でも将来的にはもっと骨を上手にしっかり増やすみたいなことを目指す世界になるから、そのときもう一度この合併症が問題になるのでちゃんと考えておいたほうがいいとは思うんだ、顎の骨量」
「なんか難しい」
「ですよねえ」
s もちろん歳をとる前に歯のケアをしっかりしておくことが重要なので、特に奥歯をY字フロスとかウォーターピックなどで綺麗にしておくことをお勧めしています。骨粗鬆症予防には1.ホルモンの管理、2.栄養の管理、3.重力を感じさせる運動の3点セットです。
医師国家試験の解説は正しいのだろうか
大学受験の時に自分の勉強は適当でした。過去の入学試験の問題に対して解説は塾の講師たちが作成する事が多いので、その答えが速報では間違っていることがままありますし、印刷物になるにしても完璧なチェックは無理ではないかと。過去問を解く時に解説でやや腑に落ちない部分があったとしたら「解説が間違ってるんだろう、あるいは塾講師が上手に解説できるほど理解できてないんだろう」ぐらいに考える癖がついていました。そもそも出題が間違う事があるんだから100%は目指さないし、妥当な点が取れる思考回路を構築すれば良いじゃん程度。それは医師国家試験でも同じで、過去問に対する答えを出題者側が提供していないので、解説が正しいとは言えない場合があります。なので割合いい加減に勉強していたと思います。納得できない解答はスルー。
学生がこの問題[100I1]を解いていてしっくりこなかったそうです。問題の体裁からは一般問題とされる、1問1分以内でどんどん解いていくタイプの設問ではないかと思いました。問題の番号からは、基本的な事を聞いているっぽいことがわかる。深く考えなくても正解には辿り着けるようにはなっているはず。したがって解説を作る塾講師あたりも大して考えちゃあいないのかな。
問題[100I1]
答え
学生への僕の答え
1分以内に解くべき問題にこういう長い解説を書いたら国家試験の問題集が分厚くなるので不適当ですよね。でも大切な事を問うているように思いますし、学生時代に「わかんね」とスルーしていた問題にもきっと深い出題者の思いがあったんだろうとの反省をこめて一生懸命返事を書きました。医学生からの質問はいつも面白い。
「話し方」は理解の助けになるのか
学生には1分間300文字で患者さんに話しかけなさい、そのトレーニングをしなさい、と言っています。
医師は早口であるほど「実はわかっていない感」を醸し出すし、相手の理解など知らないという印象を与えるのでよろしくない、という判断です。芸能のようにひたすら1方向のコミュニケーションである事とは違います。
これらの論文にはヒントがあるかもしれないので引用します。
第一の論文:doi.org/10.1017/S0305000923000296
ポジティブな感情であるほど、ゆっくりと明瞭に話そうとするという無意識が人間にあるのだとすれば、患者さんにゆっくりと話しかけるのは「あなたが好きだ」という感情を表していると言えるのではないか。
第二の論文:doi.org/10.1017/S030500092300034X
誰かが注視している環境では赤ちゃんに対してゆっくり話したりしていても、そうでない場合は少なくとも単語を一つ一つ分解して話すほど大袈裟な話法はしていないらしい、それでもゆっくりとは話している、という論文でした。通常、赤ちゃんにゆっくりと単語を区切って話すのは「相手の言語理解とその発達を助けるため」と解釈されていたのですが、あんまりそれ関係ないかも?という可能性が出てきます。
この2つの論文から、少なくとも文章と文章間をしっかり区切って話す事、は相手へのポジティブな感情を表すかもしれないなあと考えるのです。学生に話してもらうと400文字1分はかなり早いんだなという印象でした。そこで1つの目安として300文字と言っていますが、全体をのんびりにする以上に文章と文章の切れ目を少し長くお休みする、という話法が自然で良いのかもしれません。
患者さんへの自分の話し方は特徴的だと良く言われます。学会で話す時も少し特徴があるらしい。癒し系だと評価する人もいます。声の高さは低いが、のんびりしており、滑舌は悪いが母音をしっかり発音しているようには思う。文章と文章の切れ目は開けています。音の高さを除けばIDSのようです。そのような話し方をするのは、常に相手の表情を読みながら話すから早口は無理という事があるでしょうが、ポジティブな感情を伝えたいという明確な意志は持っています。ゆっくりで、母音を明確にするほど、相手にはポジティブな感情が伝わりやすい気はしています。早口で話す患者ほど非常にやりにくく感じるのですが、おそらく逆の事が起きています。 近い将来、コンピューターで合成する音声で多くの解説が行われるようになると思うのですが、話法にこのような特徴があると大変ありがたい気がしています。
電子処方箋がプリンターよりも早いので便利かも
マイナンバーで受付をすると病歴や処方された薬が正確にわかります。実際にあったことですがいろいろな病院で診断に難渋している方の病名を、そのデータだけからすぐさま思いつくこともありました。自分程度でそんな事ができるのですから、将来は「あなたはあっちこっち病院行ってるけど、本当はこれじゃない?」と勝手にマイナポータルで教えてくれる未来が来るんだと確信してます。
さて当院は院内処方なのですが、院外処方数が少ないがゆえに電子処方箋の導入には障害がなく、大変優秀なプログラマーの方々の協力のもと、当院で使っているダイナミクスという電子カルテ/レセコンソフトで電子処方箋の発行が可能になりました。たぶん大手電子カルテメーカーの中では最初に対応したと思います。
さて電子処方をしてみて気づいたのですが、プリンターから処方箋が印刷されるよりも早く処方が完了します。これに気づいた時はちょっと驚きました。薬局での実際の処方が確実にわかるのも便利です。(まだ対応していない薬局がほとんどですが)一方で障害はあって、大きな病院での電子署名の仕組みが複雑でまだ実現していない(そして現実になりそうもない、医師個人へのスマホ支給など出費がかさみ、むしろ完全に病院から外来がなくなる変化を生じさせる可能性すらある)という問題がありますが、少なくとも無床診療所、特に処方箋のやり取りがメインの老健だとか訪問だとかさまざまな場所で、意外にも便利で歓迎されるのではないか、という印象です。