手袋の話
目次
てぶくろ
新型コロナのパンデミックが起こるまで、「ニトリルの手袋」という言葉を意識したことはありませんでした。手袋の材質についての認識は、「ラテックス(天然ゴム)か否か」「パウダーありかなしか」といった程度。どんな手袋を使っているかすら深く考えず、当たり前のように着脱を繰り返していました。
しかし、パンデミックを機に、私は手袋の材質について知ることになります。医療現場では、手袋はマスクと同じくらい重要な小道具であり、人と人との物理的な距離を象徴する存在でもありました。無機質な印象を与える医療用手袋ですが、そもそもその役割は感染防御というよりも、頻繁な消毒による手荒れを防ぐためのものだったのです。他の職業で使われる手袋と同様に、まずは使用者の手を守るために生まれました。
けれども、手袋にはもうひとつ、対照的な役割があります。医療用の手袋が「冷たさ」を象徴するのに対し、衣料としての手袋には「あたたかさ」のイメージがある。そもそも手袋の原点は、防寒にあるのではないでしょうか。
ミトンと物語
手袋にはさまざまな形がありますが、最もシンプルなもののひとつが ミトン です。親指だけが独立し、残りの指はひとまとめになっている形。そう、最初に発明された手袋はミトンに決まっています。エジプトの遺跡からもミトンの形をした手袋が発見されています。また、一部の民族衣装や狩猟用の衣装にも見られ、寒さを防ぐために用いられてきました。現代でも、特に子供向けの防寒具として広く使われています。
ミトンといえば、マザーグースの「三匹の子猫」という童謡 を思い出す人もいるかもしれません。 この歌の中で、子猫たちは自分の ミトンをなくして泣き、見つけては笑う。18世紀ごろに作られたとされるこの歌は、今でも子供向けの童謡として親しまれています。
この歌の影響もあり、欧米では 「ミトン」 を猫の名前にすることがポピュラーらしいです。日本で「タマ」や「ミケ」と名付ける感覚に近いのかもしれませんね。
さて、「三匹の子猫」の物語でも、子猫たちは何度もミトンをなくしてしまいます。よくあること。そこで、子供が手袋を落とさないようにするための 手袋同士をつなぐ紐 が考案されました。カナダではこれを “idiot string(おばかさんの紐)” と呼ぶそうです。自分など「おばかさんでなくても手袋はなくすものだろう」と思いますが、カナダのような寒冷地では「普通は外さないもの」という感覚なのかもしれません。
一方、ミトンとは対照的に、5本指の手袋(グローブ) は作るのが難しく、近世以前はある意味贅沢品 でした。 近世以前のグローブは、儀式、特に宗教的な場面で用いられたり、ファッションの一部として身分を表したり、あるいは奇抜なデザインで個性を表現するものでした。しかし、時代とともにその役割は変化し、現在では防寒具としても広く普及しています。
こうして手袋は現代では 気軽に持ち歩けるもの になりましたが、ふとした拍子に 落としてしまう こともあります。落とす場合は大抵は片手ですよね、手袋。落ちているその片手だけの手袋に魅せられた人がいます。石井公二さんと言う方ですが、「片手袋大全」というサイトを運営しています。平均すると1日1つ以上片手手袋を見つけて写真を撮って記録するのですから凄い。
石井さんが片手袋に興味を持ったきっかけは、ウクライナの民話 「てぶくろ」 だったそうです。 この物語を読んだことがある人も多いのではないでしょうか。覚えていますか?

降りつづく雪の中、ぽつんと落ちていたのは片方だけの暖かそうな手袋。最初に見つけたのは小さなねずみ。彼女は中にもぐり込み、言うのです。
「ここで くらすことに するわ」
そこに、かえるさん、うさぎさん、きつねさん、おおかみさん、いのししさん、そして……。みんなの心地いい棲家になった片手袋ですが、持ち主のおじさんが登場し、物語はふと終わりを告げる、というお話。
新美南吉さんの「手袋を買いに」もいいですね。手袋は子供と良く似合います。
小川未明さんの「赤い手袋」はとてもとても切ない物語です。
山村暮鳥さんの詩「手ぶくろ」もやはりなくしものがモチーフ。
編み物
さて手袋の歴史を調べていると、それは編み物の歴史でもあります。
現在の編み物が登場するのは16世紀ごろの事で、戦国時代には欧州から編み物が輸入されて武士の手袋に応用されていたと言います。その後の編み物の隆盛はご存知の通りです。でもそれがが登場する以前は、ノールバインディングと呼ばれる生地の織り方が主流だったと思われます。1本の糸を使うのは同じなのですが、編み物のようなノットがなく、容易にはほつれないという点で異なります。糸を通していくので手間がかかり、効率的に作ることはできません。工業化も非常に難しいでしょう。エジプトの遺跡などから発見されています。現在でも北欧では人気の編み方だという事です。
さて、この写真は現在発見されている中では最古の紐付きミトンです。

アイスランドで1960年に発見されアイスランド国立博物館に展示されている子供用の手袋ですが、かわいいですね。2022年の研究で、これが10世紀頃作られたと確認されています。ノールバインディングと思われます。編み物は腐敗するため保存されることは稀であり、寒冷地であるアイスランドに残っていたというのは必然でしょう。アイスランドに編み物が伝わるのは16世紀のことなので、これはノルウェーからの入植者(バイキング)第1世代が持参したものだろうと推測されています。
1000年以上も昔の人々が、子供がなくしてしまわないようにと手袋に紐をつけていたという事を想像すると実に心温まりませんか。
まとめ
あるお子さんが手袋を汲取式のトイレに落として泣いていた、というエピソードを聞いてかわいそうに思った自分。なにか上手く慰められないだろうかと考え調べていたらこんな文章になってしまいました。手袋はなくすのが普通なんだよ、むしろそれが人間だ、と子供に言ったら納得してくれるでしょうか。
自分が小さな頃、やはり紐付きのミトンを持っていたのですが、手が存分にぐるぐる回せるぐらい自由度がある場合には紐が長すぎて普段は邪魔であり、かといって長さがちょうど良すぎると手の動きがやや制限される事が気になっていました。アイスランドで発見されたミトンの紐を見ると短すぎる気もします。はたしてミトンの紐の長さの最適解は……と、ずいぶんと考え込んで結論が出なかった事を思い出しました。