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文系と理系の百年戦争

目次

文系と理系の百年戦争

高校1年生のとき、文理選択というものがありました。悩んだ末、理系を選択したのは、数学や物理が得意だったからではありません。成績は普通。しかし文系を選択した時点で数IIIの履修は出来ません。数IIIが必要な理系の大学を受験する可能性を捨てたくなかったため理系を選んだ、というところです。 友人たちに聞くと得意科目が理系か文系に偏っているとか、あるいはなりたい職業があって、それほど迷わずに決めている印象がありました。 とりあえず、我が国で文系と理系を分かつものは大学受験なのでしょう。 しかし世界に目を向けてみるとこの二つ、百年ほど盛大に喧嘩をしてきたようだ、と知りました。きっかけはリッケルトを知ったことと、スノーとリーヴィスの喧嘩が記事になっていたことです。全体を俯瞰してみたら面白かったので、百年戦争、ご覧に入れます。

最初は仲が良かった

19世紀末、新カント派のヴィンデルバントやリッケルトという哲学者たちが、学問をきれいに二つに整理しました。普遍的な法則を探す 「自然科学」 と、一回限りの価値や意味を探す 「文化科学」 。分けたとはいえ、二つは対象へのアプローチが違うだけで、どちらも世界を理解するための両輪だ、と彼らは言いました。棲み分け、お互いの領域には踏み込まない、そういう平和な時代でした。(時間に関する議論でアインシュタインに噛みついたベルクソン、みたいな例外はありましたけれどね)

この両輪、実は診察室で毎日やっていることそのものです。血圧や体重は普遍的な法則に従います。患者さんの訴えそのものより、体重の変化を重視することはあります。でも、患者さんの痛みや感情もまた、一回限りの意味を持つ世界です。しかもその時点での文脈でしか解釈できないし、大切です。医者はリッケルトの言う二つの学問のあいだを、短い診察時間のなかで何往復もしています。

喧嘩のはじまり

平和を壊したのは1959年、冷戦と工業化の時代、英国で知性派と認識されていた小説家、C.P.スノーの講演「二つの文化と科学革命」でした。私は小説家だけれど物理学者のバックグラウンドがあるから、と聴衆に語りかけた彼は、貧困や病気を解決できるのは科学技術だけであり、過去ばかり向いている文学的知識人は無力である、と断じました。両輪だったものが「進歩する科学 vs 停滞する人文学」という上下関係に書き換えられたのです。これはあっという間に世界に喧伝されました。文芸批評家のリーヴィスがスノーをこき下ろす反論を発表し、スノー自身は自分がノーベル賞を取れなかったのはリーヴィスのせいだと漏らしたエピソードも伝えられていますが、時代の追い風は科学の側に吹いていました。序列を決定づけたのは思想ではなく、冷戦や開発競争という当時の社会環境のほうだった、とも言えます。

程なく1960年代から人文側の逆襲がはじまります。クーンの『科学革命の構造』(1962年)が「科学もまたその時代のパラダイムに依存していて、絶対でも客観でもない」ことを示し、フーコーやデリダらフランス現代思想は「科学の客観性も権力構造や言語ゲームの一種にすぎない」と主張しました。科学が持つ「普遍性」なる特権を、思想の側から崩しにかかったのです。

有名なイタズラ

しかし科学も反撃し、1990年代、溝は決定的になります。サイエンス・ウォーズ。象徴が1996年のソーカル事件です。物理学者のアラン・ソーカルが、ポストモダン用語をちりばめただけのデタラメ論文をこしらえ、人文学の権威ある学術誌に投稿したら、そのまま載ってしまった。ソーカルはすかさず種明かしをして、「現代の人文学は、科学っぽい言葉を雰囲気で使っているだけの知的詐欺である」と痛烈にやりました。イタズラとしては百点満点ですが、攻撃の手段としては論文投稿者は誠実であるべきという社会ルールを無視しており、科学者の倫理観を脅かします。以後、両陣営は互いに冷笑し合う、完全な断絶へ追い込まれました。

人間関係をこじらせるのはどちらかのルール無視、関係修復には時間がかかりそう、という予感がするエピソードでした。

仲直りどころか、飲み込みにかかる

この不毛な争いから出てきた動きは二つあります。ひとつは著述家ブロックマンの言う「第三の文化」です。ドーキンス(進化生物学)やピンカー(認知心理学)といった一流の科学者たちが、文芸批評家の解説が必要ない平易な言葉を使い、直接大衆に向けて「人間の心や文化の成り立ち」を語りはじめた現象です。もうひとつが生物学者ウィルソンの『知の統合(コンシリエンス)』(1998年)で、倫理も芸術も宗教も、最終的には生物学と脳科学に還元して統合すべし、という宣言でした。

要するに文理統合なわけですが、どちらの動きも科学側から出てきた事が問題でした。人文側から見れば、これは統合ではなく植民地化であり支配です。仲直りではなく、科学が人文を飲み込もうとした状態。

急にAIが来たので

ところが現在、この百年の対立の構図そのものが、LLMをはじめとする生成AIによって強制的にアップデートされています。「確率」「ベクトル空間」など、科学技術の粋を集めた最先端の科学によって生まれた文章が嘘にまみれ、倫理の再定義が必要となっています。過去のレターで解説したサルトルのいう実存主義の論理に任せてしまうと、人間性とはかけ離れた倫理観を持つとんでもないAIが生まれそうなので、どうしても「本来の人間性とは」のような問いに戻らざるを得なくなりました。結果として非常に高額の報酬で、AI企業が哲学者、倫理学者など人文学者を雇い始めています。

学問そのものもアップデートされています。人文学はビッグデータと情報解析を使いはじめました。これをデジタル・ヒューマニティーズと呼びます。リッケルトらの言う「重要さ」を数字に変換しようという学問です。

そして教育の世界では理数系のSTEMにArts——芸術・教養——を加えた「STEAM」が叫ばれるようになり久しいです。極端な効率化が社会に持ち込む倫理やデザインの問題は、理系の道具箱だけでは解決できない、と科学者・教育者は気づいていました。AI時代でも同じ議論が成り立ちます。まだそれを背負うだけの人材は多く育ってはいないように感じますけれど、これからです。

さて、現在の動きの中、この百年史で一番大きな逆転が見られます。1959年、スノーが人文学を見下す根拠にしたのは「実用性」でした。ところがその実用性——論理的思考や、有用なコードの生成——は、いままさにAIが人間から取って代わってしまった。AIのほうが人間より遥かに優秀なのです。科学を勉強してもほとんどの人々は機械に負けます。そして残された「人間であることの価値」は何かを考えると、リッケルトが示した文化科学、すなわち「流れていく時間の中で大切な物事の意味や価値を考えられること」なのだとわかります。百年の陣取り合戦の挙句、科学一色になるかと思いきや、全く逆の結果になった、という状態になっています。

フランスとイギリスの百年戦争では、火薬(大砲)の発明が大きく影響しましたが、文系理系の百年戦争ではAIの登場で戦場が様変わりしました。

以前このレターで、医学と人文・社会科学の両方で訓練された「新しい臨床学者」を求めるJAMAの批評文を紹介しました。あの話も、この陣取り合戦の結果の一つだ、と考えられますね。

診察室から

もうひとつ、医療従事者へのエールのようなものが見えてきます。医学はともかく、臨床医はこの百年、一度もこの喧嘩にまともに参加していない、というか出来なかった。もちろん「EBM!EBM!」と強調する医者はいますし、パターナリズムという言葉で医者は批判されることがあります。しかし目の前の患者さんは、自然科学にしたがう生物ではありますが、文化科学の価値観で一回限りの人生を生きている存在なのだから、どちらも両立させねばなりません。リッケルトの両輪は、診察室では最初から共存しています。ただ医学教育では人文が軽視されがちで、教養は医者各々の努力に任されていた。それが前段のJAMA論文の伏線になっています。

時間のことでアインシュタインとベルクソンが論争になったのは1922年、パリでのこと。ベルクソンは「物理学者が測る時間と、人が生きている時間は別物だ」と主張し、アインシュタインは「哲学者の時間などというものは存在しない」と応じました。

しかし診察室では、私がカルテに「検査時間15分」と記録した15分と、受けている本人の15分は、同じ長さでも別のものです。リッケルトは両輪を尊重すべしと言いましたが、それに従わずとも、白黒つけないまま、二つとも存在しています。

今、文理選択を悩んでいる高校生に会ったら、こう言おうかと思っています。入試の都合なので、どちらを選んでもいいけれど、世界は文理が分かれてはくれていません。どちらかを軽視すると、反動が来ると思いますよ、と。


注釈

  • 冒頭の受験話は20251224の再掲

  • JAMA言及は20251120のレターに掲載

  • 言語ゲームは20250722のレターに掲載

  • ベルクソンは20240110のレターに

  • カントの散歩話は20250916に

  • カントの定言命法は20260916に

  • STEAMは20230629, 20250617, 20260701に

  • 数III:高校数学の科目のひとつで、微分・積分などを深く学ぶ。理系の大学入試で必要になることが多い。

  • 百年戦争:1337〜1453年に、イギリスとフランスがフランス王位などをめぐって断続的に戦った戦争。ジャンヌ・ダルクが活躍し、最後はフランスが勝った。

  • 新カント派:19世紀後半のドイツで「カントに帰れ」を掲げた哲学の流派。学問の方法や「価値」とは何かを研究した。

  • カント:イマヌエル・カント(1724〜1804)は、ドイツ(当時のプロイセン)の哲学者で。近代哲学の最重要人物の一人。人間が知りうることの範囲と限界を見きわめ、道徳の根拠を理性に求めた。毎朝同じ時間に散歩するので、近所の人が時計代わりにしたというエピソードがある。

  • ヴィンデルバント:ドイツの哲学者(1848〜1915)。新カント派の中心人物で、法則を探す学問と、一回限りの出来事を描く学問を区別した。

  • リッケルト:ドイツの哲学者(1863〜1936)で、ヴィンデルバントの弟子。学問を「自然科学」と「文化科学」の二つに整理した。

  • 自然科学/文化科学:自然科学は物理や生物のように普遍的な法則を探す学問。文化科学は歴史や芸術のように、個別の出来事の意味や価値を探る学問。

  • ベルクソン:フランスの哲学者(1859〜1941)。時計で測る時間とは別に、人が内側で生きている時間(持続)の大切さを説いた。

  • 冷戦:第二次世界大戦の後、1989年ごろまで続いたアメリカとソ連の対立。直接は戦わず、軍備や宇宙開発で激しく競い合った。

  • C.P.スノー:イギリスの小説家(1905〜1980)。もとは科学者で、政府の科学行政にも関わった。1959年の講演で「二つの文化」の問題を提起した。

  • 「二つの文化と科学革命」:スノーが1959年にケンブリッジ大学で行った講演。科学者と文学者が互いを理解していないことを問題にし、世界的な論争を呼んだ。

  • リーヴィス:イギリスの文芸批評家(1895〜1978)。1962年の講演でスノーを激しく批判し、大きな論争になった。

  • クーン/『科学革命の構造』:アメリカの科学史家(1922〜1996)とその主著(1962年)。科学は一直線に進歩するのではなく、枠組みごと入れ替わると論じた。

  • パラダイム:ある時代の科学者たちが共有している、ものの見方や問題の解き方の枠組み。クーンが広めた言葉。

  • フランス現代思想:1960年代以降のフランスで生まれた哲学の潮流。当たり前とされてきた「真理」や「理性」を疑い、問い直した。

  • フーコー:フランスの哲学者(1926〜1984)。知識や「正しさ」が、社会の権力の仕組みと結びついていることを分析した。

  • デリダ:フランスの哲学者(1930〜2004)。「脱構築」という方法で、文章や思想に隠れている前提を解きほぐした。

  • 言語ゲーム:哲学者ウィトゲンシュタインの言葉。言葉の意味は、それが使われる場面とルールによって決まるという考え方。

  • ポストモダン:近代が信じてきた「進歩」や「唯一の正しい答え」を疑う、20世紀後半の思想や文化の傾向。

  • サイエンス・ウォーズ:1990年代にアメリカを中心に起きた論争。科学は客観的かどうかをめぐり、科学者と人文系の学者が対立した。

  • ソーカル事件/アラン・ソーカル:アメリカの物理学者ソーカルが、1996年にわざとでたらめな論文を人文系の学術誌に載せさせ、後から種明かしした事件。

  • ブロックマン:アメリカの著述家・出版エージェント(1941〜)。科学者が直接一般の人に語る潮流を「第三の文化」と名づけた。

  • 第三の文化:文学者の解説を通さず、科学者自身がわかりやすい言葉で人間や宇宙について語る知的な流れ。

  • ドーキンス:イギリスの進化生物学者(1941〜)。『利己的な遺伝子』で、生物の行動を遺伝子の視点から説明した。

  • ピンカー:アメリカの認知心理学者(1954〜)。言語や心の仕組みを進化の観点から一般向けに解説する本で知られる。

  • ウィルソン:アメリカの生物学者(1929〜2021)。アリの研究者で、社会生物学を開いた。人間の文化も生物学で説明しようとした。

  • 『知の統合(コンシリエンス)』:ウィルソンの1998年の著書。芸術や倫理を含むすべての知識は、最終的に自然科学で一つにつながると主張した。

  • LLM:大規模言語モデル。大量の文章を学習し、次に来る言葉を予測して文章を作るAI。ChatGPTなどの中核になっている。

  • 生成AI:文章・画像・音声などを新しく作り出すAIの総称。

  • 確率/ベクトル空間:言葉を数の並び(座標)で表し、意味の近さを距離として計算する数学の考え方。AIが言葉を扱う基礎になっている。

  • サルトル:フランスの哲学者・作家(1905〜1980)。実存主義の代表的な人物で、ノーベル文学賞を辞退したことでも知られる。

  • 実存主義:人間には生まれつき決まった本質はなく、自分の選択と行動で自分をつくっていく、という思想。

  • デジタル・ヒューマニティーズ:コンピュータやデータ解析を使って、文学・歴史・言語などを研究する新しい学問分野。

  • STEM/STEAM:STEMは科学・技術・工学・数学の頭文字。これに芸術・教養(Arts)を加え、分野を横断して学ぶ教育がSTEAM。

  • JAMA:米国医師会雑誌。アメリカ医師会が発行する、世界で最も影響力のある医学雑誌のひとつ。

  • EBM:根拠に基づく医療。研究データなどの科学的な根拠をもとに、診断や治療を選ぶという考え方。

  • パターナリズム:父権主義。「本人のため」として、医師が患者の意思よりも自分の判断を優先してしまうこと。