#鵜川医院レター

型と折り合い / 良質なコンテンツ / 思考の実際 / メラニン / 風邪医者

目次

型と折り合い

型は重要です。それを意識したのは当院に見学に来た医学部6年生が父の内視鏡検査の姿を見て「宗教の儀式のようだ」と形容したことが最初です。

確かに父の内視鏡は儀式のようでした。ある日検査にかかった時間を測定すると一人当たり5秒前後しか変動がなく驚きました。ロボットのようですが、「様式美」とか「形式」の極致とは言えましょう。

昔見た、剣道8段の達人の剣の軌道、という写真と同じような括りに入るのではないか。

一方私と言えば、アドリブがメインで、外来診療も内視鏡もそうなのですが「型」がないのが特徴です。それが利点でもあり弱点でもある。それはイラストでも同じで、風合いが一定しない。年賀状は、版画を彫ったり、貼り絵をしたり、イラストを描いたり、コンピューターグラフィックにしてみたり、毎度毎度変わってしまい、自分風、というのが生まれませんでした。

母には母の絵があり、実家の隣人Cさんも絵が上手な人でしたが独自の雰囲気がありました。私と言えばどうも自分のタッチというのがわからないままこんな年齢になってしまい来年還暦です。ただ、過去を振り返れば自分が書いたイラストも悪くなく、その風合いを保ったままで午年の年賀状を作って下さいと人工知能にお願いしてみたのがこちら。自分ならばさらに省略して書くでしょうが、確かにこのようなスケッチを書いたような記憶もあります。

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穏やかな日々と、健やかな健康、そしてあなたのそばに寄り添う小さな楽しみがありますように、という言葉もAIが考えてくれたものです。自分の性格を理解しているようで可笑しみがあります。

英語で健康を意味する”health”という言葉も、癒やすを意味する”heal”という言葉も、「完全性」が語源になっています。漢字での「健康」は漢代に登場し、「しっかり立ち安定している」というようなニュアンスがあり、江戸時代に日本に定着したときも「安定」という意味あいが大きかったようです。

英語では「健康」は中立語であり、”I am health.”とは言わない。“I am healthy.” は文法的には正しいけれど、定型表現ではないです。日本語で「私は健康です」は”I am in good health.”と言います。

医療を志していた自分は、哲学的に「健康」の意味を若い頃考えていました。このため「患者さんを治そう」みたいな意識があんまりない。「現状に復帰」を第一に考え、それが無理なときに「折り合いをつける点を探す」を第二の目標にしています。 そのためには、患者さんが考える「現状」が何かを知る必要があり、結果として患者さん自身が自分の価値観を言語化することを求められてしまう。これが、何割かの患者さん、あるいはまだ当院にかかっていない方にとって、負担だと受け取られてしまう理由になっているのだと思います。そのギャップをなくそうという試みがこのレターです。ご容赦下さいませ。

良質なコンテンツ探訪

「研究者インタビュー」はハズレの少ない、非常に良質なコンテンツ足り得ます。NatureScienceなどに掲載された日本人一流研究者のインタビューはしかし「難しすぎる」「ナラティブではない」傾向があります。マスコミ大好きな出たがり研究者もまた、最初の数年を過ぎればネタが枯渇してしまい面白くない。あるいはそのキャラクターだけが面白がられてしまう。

一方で「授業の名手」「大学での人気教授」はまだまだ探索可能な領域が大きいのではないか。朝日新聞の受験生向けのサイトにあるこのシリーズも全部面白いですが、まだまだ78人/3年です。研究内容について高校生がわかりやすい状態で書いてありますから、一般の方向けでもあり、おすすめです。各大学の教授インタビューも検索すると沢山あって面白いですよ。

名物教授訪問 | 朝日新聞Thinkキャンパス

現代風にというならば、これをショート動画にすれば、朝日新聞のインプレッション数が増えて良いことでしょう。長文を読むことが出来る人は少数派です。インプレッションだけではなく、実際に格差を少なく出来るとなればやらない手はないのではないか。

実際にはもっと考えているものだ

医師国家試験は良問が多いなあとわかったのは医者になって20年も経過してからで、当時はその真価がわからないままでした。出題してくださった先生方に申し訳ない気持ちです。1題に5秒も考えていなかった自分よ、反省せよ。

今はもうちょっと考えがちゃんとしているので、こういうクイズに自分なりの解説を加えることができる。

22歳女性。高校生時から続く食中・食後に出現する心窩部痛

この問題は救急外来に来院した若い女性(ナース)が、腹腔動脈起始部圧迫症候群(CACS)だったというものです。「腹腔動脈起始部圧迫症候群(CACS)」と「正中弓状靭帯圧迫症候群(MALS)」は同じ疾患です。概念として古いのはCACSで、1960年代に「腹腔動脈が圧迫されている」という現象に基づいた呼称として広まりました。その後、原因が正中弓状靭帯による圧迫と特定され、解剖学的により正確なMALSが現代の国際的な主流となりました。こういう用語の使い方一つに引っかかってしまうのが私です。

正中弓状靭帯圧迫症候群|四谷メディカルキューブ

さて内容を見ていきます。テクニック的な話をするとこういう問題では、典型例が示されるか、あるいは病歴がすべて「だまし」で写真がすべてか、のどちらかです。

看護師1年目の22歳:ナースは自分の身体について一般の方よりも知識があって、友人や先輩にも相談するでしょう。そう気軽に救急外来には来ないでしょう。あるいは逆に休日がなさすぎて救急に受診しているという可能性とか、自院の救急にかかっている可能性も。とはいえ、そういう背景は全然関係がないかもしれない。当院には医療従事者が沢山来院されますが、医療用語がわかる、という事以外は同じ人間として診ています。もうコモンな疾患は自分で除外診断してるんだろう、みたいに思っていると落とし穴にはまります。

若い人の腹痛:高校生ぐらいから、食中食後に腹痛、という症状からは、アカラシア、膵胆管合流異常も鑑別にあがります。ピロリ感染症もあるでしょう。食道痙攣、SMA症候群、腸の回転異常、卵巣の異常、腎臓の異常、いろいろあります。いずれにせよ若い人の腹痛は先天的な、解剖学的な異常はかなり多くて、エコーは必須です。これらの疾患を一次診療でます考える事は枝葉末節すぎるかもしれません。しかし、どこかの医療機関で一度診てもらったけれどわからなかった、ぐらいの患者さんが多い当院には良くある疾患です。

だましがあるか:血管雑音がわずかにある、今日は痛くないのに不安で救急に受診などの言葉は、読者を惑わそうとしている可能性もあり重視しないほうが良いでしょう。診断に関係ない部分だと考えたほうが正解率は上がるでしょう。

画像は嘘をつかない:エコーでは胆嚢が示されていますが、空腹にしては胆嚢が大きくないですね。そして皮下脂肪が薄いです。胆嚢にポリープがないことで膵胆管合流異常は否定して良いでしょう。解説には言及がなくて残念ですが、胆嚢の裏に十二指腸が見えていて、ちょっと浮腫状です。これは血流があんまり良くないのかな、炎症かな、などと想像する部分です。総胆管が写ってませんが、これは正解が胆道ジスキネジーや総胆管結石なら不備ですから、つまり正解はそれらの疾患ではないという事を示します。内視鏡写真でも痩せた人という印象はあります。エコーでもそうだからたぶん間違いない。わずかにECJが開いているのは痩せた人にあるあるですが、下手な内視鏡医は食道裂孔ヘルニアと間違うでしょう。大事なことは、アカラシアは否定されているということと、ピロリ感染だとこの部分にわずかに色調変化が起きることが多くてそれも否定されるということです。grade Mだ、と解説では書いてますがこの程度でMなら全員Mですから私は否定します。少なくとも明らかな胃酸過多状態はなさそうです。またSMA症候群や、他のobstructiveな病気では逆流の所見があるはずです。ついでに貧血も否定的です。だとすれば、この2枚の写真だけでMALSだろうと診断がつくのです。

情報がない部分に注目する:採血やレントゲン、尿検査の結果がないことも大事です。これらからわかる病気としては例えば地中海熱、異常ヘモグロビン、膵炎、石、などがあります。妊娠反応も実際には必ず見ます。

いずれにせよ、救急外来に来た患者さんを「FDだろう」「精神的なものだろう」と決めつけるのは論外です。「普通はFDと思うでしょう?」という読者を軽く見たような解説は、流行りの文脈ではあるのかもしれませんが、私自身が書くなら避けたい表現です。

救急では器質的疾患が見つからないことも多い――それは事実ですし、判断が難しい場面も多い。しかし、この問題の解説は、出題者の意図にほとんど触れず、CACS(私は MALS と呼びたいですが)の説明だけで終わっており、少しもったいないと感じました。

良い問題には、良い解説があってほしい。そう思って、少し長く書いてみました。


メラニン、その完璧な物質よ

生命は絶えず進化していきますが、生命に必須な分子の場合、大きく変化はしません。

でもほんの僅かも変化しないというのは大変特別なことで、今回はそういう話をします。どれだけ地球生命に必須な分子なのだろうか、という話題です。

Evolutionary constraints on anuran melanin for 45 million years

ある人はそれを、頑なにその形を変えず、数千万年もの時を超えてメッセージを伝え続ける「漆黒のバトン」だ、と呼びました。それは私たちもよく知っている「メラニン」と呼ぶ色素です。え?美容の敵だって?いいえ、全然。

1. 奇跡の地、ラガーシュテッテにおける時間停止

物語は、地質学者が「ラガーシュテッテ(奇跡の地)」と呼ぶ、特別な場所から始まります。

通常、生命がその生を終えれば、微生物などによって肉体は速やかに分解され、土へと還ります。内臓や筋肉などの軟組織が化石として残ることは、本来ありません。

しかし、ドイツのガイゼルタール、チェコのベフレヨヴィツェ、そしてスペインのリブロス。 これらの地では偶然が重なり、特殊な現象が起きました。 湖の底に沈んだ遺骸が、酸素を失った冷たい泥の中に急速に閉じ込められ、腐敗という名の化学反応を起こさぬまま「時が止まり」ました。

停滞した泥が生み出した、この「奇跡の静寂」の中で、カエルたちの筋肉や皮膚、そして体内の繊細な配置は、腐ることなく、研究者により発掘される数千万年後までそのまま保存されたのです。

ラガーシュテッテの複数形がラガーシュテッテンです。間違いではないです、念の為。

ラガーシュテッテの複数形がラガーシュテッテンです。間違いではないです、念の為。

2. 四千五百万年の「不変」と「変革」

アイルランド、コーク大学のダニエル・フォーク博士らによる最新の研究(Falk et al., 2025)は、この奇跡の地から発掘されたカエルの化石を使い、生命の驚くべき戦略を明らかにしました。始新世、すなわち約4500万年前。 そこに生きていたカエルたちの瞳や肝臓、肺、そして生殖器に含まれるメラノソーム(メラニンの粒)は、驚くべきことに、現代を生きるカエルのそれと、その幾何学的な形状において極めて強い類似性が示されました。

生命は、なぜこれほどまで頑固に、この黒い粒の形を守り続けてきたのか。そこには『生理学的制約』という名の厳格な論理が働いています。内臓におけるメラニンは、単なる色ではありません。それは光からDNAを守る番人、酸化という火事の消火役、そして何より「金属の管理人」として、体内の微量元素のバランスを司る「黒い精密機械」なのです。

この生命維持の根幹に関わる設計図は、4500万年の時を経ても、実質的な変化が見られなかった。それほどまでに、この形は完成されていたのです。

一方で、皮膚のメラニンは、まったく別の進化をしました。化石の皮膚に残されたメラニンは、現代のカエルとは異なる形状を示していました。 皮膚という「外界との境界面」において、メラニンは環境に合わせて姿を変える「仮面」としての道を選んだのです。捕食者の目から逃れるための保護色、あるいは生息地の変化への適応。皮膚のメラニンは、生命の動的な変化を一身に引き受ける存在であり、内臓での不変とは対照的ながら、種の維持の守護神ではありました。

3. 化学的な磁石、金属との絆

ここで、私たちがあっと驚くような、メラニンの隠された機能に目を向けてみましょう。先程少し触れましたが「金属の管理人」としての役割。メラニンの合成には亜鉛や銅が必要だとわかっているのですが、実は「化学的な磁石」のような性質をも持っています。 キレートと言いますが、亜鉛や銅を吸着して調節し、自分の生成を調節したり、他の細胞に鉛などの金属が害をなすのを抑制してくれています。

フォーク博士らは、シンクロトロン放射光という特別な光を用いて、化石の中に眠る金属の分布をスキャンしました。 すると、4500万年前の標本の腹部に、特定の金属〜亜鉛〜が濃縮されているポイントが見つかったのです。亜鉛は卵が生まれる時に非常に沢山放出される事がわかっていますが、まさに産卵をする瞬間が捉えられたと研究者は解釈しています。化学や物理という道具を駆使し、私たちは4500万年前の湖畔で、産卵の準備をしていたメスガエルの息遣いさえも感じることができるのです。

4. ヒトという生物の中で

この物語は、カエルだけの話ではありません。私たち人間の体内にも、同じ設計図が息づいています。

私たちの脳の奥深く、「黒質(こくしつ)」と呼ばれる場所に宿るニューロメラニンもまた、ドパミン神経という極めて繊細な装置を、酸化ストレスや重金属の毒性から守り続けています。 パーキンソン病という、私たちの動的平衡が崩れる病の一つは、この黒い守護者がいなくなることで、神経細胞が酸化の炎に焼き尽くされてしまうことで起こります。

そして、重要な事実がもう一つあります。人間の皮膚の色は、人種によって多様であり、それは私たちが環境に適応してきた「柔軟な仮面」の証拠です。しかし、私たちの肝臓の色、肺の色、瞳の奥の色――すなわち内臓のメラニンは、人種を問わず、すべての人間で共通しています。 なぜなら、私たちが「生命」としてこの地球上で生きるために、金属を操り、酸化を抑えるというルールには、人種を超えた、あるいは種を超えた「共通の設計図」が必要だからです。

人種によらず心臓の色は同じ、というベネトンの有名な広告ですが、実際にはすべてブタの心臓です。

人種によらず心臓の色は同じ、というベネトンの有名な広告ですが、実際にはすべてブタの心臓です。

結びに:生命の黒衣(くろご)として

生命とは、常に移ろいゆくものです。人間とてあと何年繁栄するかわかりませんが、確実に種としての寿命は終えるはずです。しかし、種の交代が起きたとしても、生命に存在する黒の粒子は、4500万年(あるいはそれ以上の遙かな時間)にわたって、基本設計が保たれてきました。例えるなら、それが地球外生命であるかどうかの判定に使えそうなほどの事実。

ガイゼルタールの褐炭層に眠っていたカエルたち。 奇跡の地が守り抜いたその黒い一粒の形が、今、私たちの脳の中で、私たちが明日を生きるための神経信号を静かに守っています。これほどまでに長い時間、構造が変化しない物質はとても貴重です。

次にあなたが鏡を見たとき、瞳の奥にある漆黒の色素を想像してみて下さい。そこには、4500万年の時を超え、生命の原則が静かに、しかし力強く、息づいているはずです。

風邪医者

HIVはウイルス感染症でありながら、感染そのものが免疫機能の低下を引き起こすという、きわめて特殊で深刻な疾患です。発症が進むとAIDSと呼ばれ、状況によっては厳重な感染管理下での治療が必要になります。

私が学生だった30年以上前、横浜市大には感染症病棟があり、結核の患者さんとAIDSの患者さんが同じ病棟に入院していました。もちろん全室個室で、換気も管理され、院内感染が起きないよう配慮されていました。それでも、「感染症」と「免疫力低下」という性質の異なる状態が、同じ空間に存在しているという事実は、医療の構造について考える一つのきっかけになりました。そしてその感覚は、今も自分の中に残っています。

大学病院や大規模病院の外来待合では、免疫力が低下している患者さんと、急性感染症の患者さんが隣り合って座っている可能性があります。この状況は本当に適切なのだろうか。少なくとも、自分が関わる医療の現場では、できる限り避けたいと考えてきました。

タミフルが発売されたのは2001年ですが、それ以前、インフルエンザは「流行性の風邪の一種で、安静にしていれば自然に治るもの」という認識が一般的だったように思います。ところが2009年の新型インフルエンザ流行をきっかけに、「インフルエンザは医療機関で診断・治療を受けるものだ」という意識が社会に広がりました。世界的に情報が拡散していく中で、不安が増幅された側面もあったのかもしれません。一方で、「感染症は分離して診る」という考え方は、必ずしも十分に共有されなかったように感じます。

その結果、待合室にインフルエンザ疑いの方が直接来院し、「検査をしてほしい」と求める場面が日常化しました。当院には、がん治療中や自己免疫疾患の治療を受けている、免疫力が低下した患者さんも多く、この点は常に悩ましい問題でした。

2010年頃までは、受付スタッフの細やかな気配りに支えられていました。患者さん自身が症状を申告しないことも多いため、様子を見て違和感があれば私に知らせ、可能な範囲で動線を分ける。非常に神経を使う作業で、長期的に続けるには限界がありました。

2013年に書いた

内科に、順番取りで朝一番に来ない方が良い理由

というブログは、多くの反響をいただきました。同じような違和感を抱いていた方が少なからずいたのだと思います。当時、朝一番で感染症の方が来院される現実に、半ば諦めにも似た感情を込めて書いた文章でした。

現在でも、診察の途中や帰り際になってから「実は風邪気味なので薬をください」と言われることがあります。1ー2年前カナダの消化器病学会が「検査を伴わない診療はオンライン診療を基本とする」と提言したことを思い出します。それは診察の意義が軽視されるとして撤回されました。ただ、院内感染を避けたい医療者側の意図と、医療費抑制を図りたい保険者側の意図が重なっていたのではないか、と個人的には想像しています。

医院の入口に「発熱や咳のある方はインターフォンを押してください」と掲示することには一定の意味がありますが、実際には見過ごされることも少なくありません。当院では現在、開錠時間を遅らせるという消極的な対策を取っており、これはある程度の効果があります。

2020年にCOVID-19が流行し、「感染症は分離して対応する」という原則が社会全体で共有される機会になることを期待しました。しかし現実には、COVID-19とインフルエンザに限定した対応が中心となり、扁桃炎や腎盂炎など、他の重要な感染症は十分に拾い上げられない構造が残りました。中には非常に高度な判断をする先生ももちろんおられるのですが質のばらつきがある。「発熱外来」という名称と実態の間にあるギャップは、制度設計上の課題だと感じています。

また、発熱診療には相応のコストがかかります。補助金ですら十分でなかったのに、それが終了した後、その負担が現場に重くのしかかっているのも事実です。予約制を導入しても、ウォークインが完全になくなることはありませんでした。「今すぐ診てもらいたい」という感覚は、制度だけで簡単に変わるものではないのだと思います。


私は大学時代から、「ウイルス感染と判断した場合には抗生物質を使わない」という原則を大切にしてきました。しかし現実には、日本でも世界でも、抗生物質が比較的容易に処方される場面は少なくありません。当院では抗生物質の使用を最小限にしているため、院内処方という仕組みの中では感染症診療そのものが難しくなる側面があります。原則を守るほど、運用や経営が厳しくなる。この歪みは、個々の医療機関だけで解決できる問題ではありません。

社会全体としては、「軽症はOTCで対応し、医療資源は重症に集中させる」という方向性が語られています。しかし、その前提となるトリアージを担う人材や仕組みは十分とは言えません。一方で、患者さんは高い保険料を支払い、「それでも受診できないのか」と感じる。このズレが、不満として表出しているのだと思います。

医療機関への低評価口コミの多くは、この期待と現実のギャップから生じているように感じます。分け隔てなく診療し、しかし広報に力を入れていない医療機関では評価が厳しくなる傾向もあります。個人的には、評価が高すぎる医療機関に対して、少し距離を置いて見てしまう感覚もあります。

発熱外来という仕組みが万能でない以上、各医療機関が自らの対応範囲を定め、その理由を丁寧に説明していくことが、現時点で取り得る現実的な対応なのだと思います。


当院の運用は、決して単純ではありません。

  • まずトリアージを行う
  • 当院で対応することが、患者さんご本人にとって本当に有益かを考える
  • 他院受診やセルフケア、経過観察を提案する場合もある
  • 必要に応じて分離して診察する
  • ウイルス感染が疑われる場合、抗生物質は使わない

こうした方針を支えるには、現場の努力だけでなく、ICT、予約動線、情報提供の仕組みが不可欠です。それでもここで重視しているのは、「風邪に見えるがそうではない疾患」であり、一番多い感冒症候群への対応が出来ないことを心苦しく思っているのが現状です。

今後、その役割の一部を薬剤師が担う事が期待されますが、まだ準備や体制は十分とは言えず、推移を慎重に見ていく必要があるように思います。まだまだ消極的に「医者にかかりなさい」と対応しているドラッグストアが多い現状には問題があると思います。

誰を診て、誰をどのようにつなぐのか。その線引きを社会全体で少しずつ考え直していかない限り、「風邪医者」という言葉が示す状況は、形を変えながら続いていくのだと思います。