縁 / テ。––鉄の粒子について–– / 腸
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縁
ある日、患者さんが父に外来で「お誕生日おめでとうございます」と手紙を渡そうとしていた。彼も父と同じぐらいの年齢である。
誕生日から数日経過していた。
父は封筒に何かが入っていると思ったらしく「結構です」と固辞しようとしていた。普段金銭は断るからだ。
しかし傍で見ていた僕は「これは本当に中身は手紙だ」と直感したので、「お手紙ですよ」と言って収めてもらった。
患者さんが父の誕生日を知っているのは珍しいことだ。その日それを話題にしたのはたった一人であったから、どうしてだろうという疑問はあった。
あとで中身を読んだのだけれども、「平成3年1月26日初診の日より長きに渡り診察をしていただいております」「大恩ある先生の元気なお姿を拝見できて大変幸せです」などと、ちょっとくすぐったくなるような内容だった。
すると急に父が思い出したように「北海道に同級生がいてね……」と話しだした。「Xくんと言って、眼科で大学病院のような施設を備えていて北海道すべてから患者さんが来院するような先生だったんだよねえ、そのご親戚だった」と言う。
父は普段口数が少ない人であり、めったに過去の事を話さない。そういう点で老害にはなり得なかったのだが、もっと聞きたかったものだ。ともかくこのような事を思い出すとは大変めずらしい事なので思わずメモをした。
その患者さんにとっては「たまたま従兄弟の同級生に出会ったところがずっと診てもらい、従兄弟は残念ながら亡くなったが大先生は元気で良かったなあ」という感慨があっての手紙なのだろう。
自分の子供や親や親戚、親友など近い関係の人を診ないお医者さんもいる。しかし父には血縁友人地縁で結びついた患者さんが多い。自分は下請けあるいは影武者として20年間父の患者を診たから、知らない自分の遠縁を診ていることもあった。先に言ってよとは思うが、父が言うわけがなく。だからといって家族歴聞くのがちょっと楽になるぐらいの違いしかなく、結局全員同じ人間だ。父はそういう事を思い出すのがまれな人だから、たぶん色んな縁のことなど気にせず診ていたんだろうと思う。
つまり「縁」というタイトルにしたのだけれど、病気の遺伝とか生活に関して多少それを気にするものの、ほとんど診療内容には影響しないし特別扱いもしていない。では意味がないかというと逆で、患者さん側が縁を感じているだけにラポール形成に大きく関与しているのは間違いない。
病気はハイボリュームセンターで診る時代で、縁は病気の治療とは全く関係ないように書いたが、患者さんが縁を感じるのは自由で、優秀な医師がとりわけ重要視するラポール形成にかかる時間をかなり省略できるという意味で便利な概念だ。普通ならば信頼獲得に要する膨大な時間を、病気の探索に使えるでしょう?
縁のある(受診前から信頼している)医師にかかることは得だろうと思う。
鉄
生物という科目は細かく分解すれば化学反応の集合体であり、化学はうんと細かく見れば物理現象であり、物理は数学に支配されている、という事に気づいたのは高校ぐらいの時です。だから医学部受験は物理化学でやっておけば良いやと考え、そうしました。実際それで正解だったと思います。
一方大学受験のための社会科は、世界史と日本史を選択してしまいました。単に「歴史観がわかってたらかっこいい」と思っただけなんですが、勉強した結果「人間どーして同じこと繰り返すねん」という感想しか持てず、それは理解が足りない、と言えます。歴史は地理に支配され、地理は地学に支配されるので、それらをきちんと勉強すれば違ったかもしれない。そう考えて、地理・地学もあとで勉強しました。
「銃・病原菌・鉄」という名著があって、人類の歴史の理解にはとっても役立つのでお勧めです。今書いたような事がわかると思う。鉄、というタイトルを書いたら、こんな「マクラ」になりました。全然今回書くことと関係ないのですが。
がん研有明病院の検診センターにいた20年以上前、ある健康サロンの下請けをがん研有明病院がしていたので、内容はその健康サロンが指定して来るのだけれど、その中に「フェリチン」が必ずありました。こんな役に立たない腫瘍マーカーを、という思いを持った理由は、それまでのキャリア、僕は肝癌も診てきたので、フェリチンは肝癌の脇役的なマーカーとしての位置づけでしかなかったからです。といっても同じく腫瘍マーカーとして役立つと思っていたPIVKA-IIもビタミンK充足マーカーという一面があるのですが。
その健康サロンは経営者向けで年額200万円ぐらいと聞きました。内容はもちろん原価に対してだいぶプレミアムが上乗せされた価格であり、健診者さんが「サロンよりこっちのほうが全然安いからやめちゃおうかな」という事もあるけれど、「いやいや循環器、呼吸器、神経など、病気は多岐にわたるので、おやめにならないほうが良いですよ」などと説明していました。実際、病気になった時のアレンジメントは流石に行き届いています。名医がお金で買えるなら、と考える経営者層も多かろうと想像したし、実際過酷な生活であるが故か、有明で内視鏡を受けると非常に多く早期癌が見つかり、元が取れた人も多かったでしょう。
さて多くの経営者層のフェリチンは正常を超えています。「だからといってこれが癌の存在を意味するわけではないし、どういう理由で測定を?」との疑問は結局消えないままでした。
C型肝炎やB型肝炎の治療と癌の予防に目処がつきつつあった2000年代初頭のことでした。そして2003年、京大での肝移植失敗でNASHという病気がクローズアップされ、脂肪肝はpostウイルス性肝炎時代の有力な肝癌の危険因子であり、かつ今後も増え続ける、という読みが世界の潮流でした。したがって鵜川医院では将来に備えて脂肪肝の詳細な経過観察をはじめていた時期です。その数年後、書いたのがこのブログです。
かつて健康サロンでみな高かかったフェリチンに関する疑問、それは数年後に理解していました。要するにフェリチン高値が酒の飲み過ぎ、食べ過ぎを意味する場合があり、それをコントロールしたかどうかのマーカーとして有用なのです。偶然のことですが、自分が1991年-1995年に大学院で研究していたサイトカインであるTNF-αの役割と思いっきり重なる領域であり、お互いに深く関連していました。人生に無駄な勉強は何もないということです。
当時僕はブログをあちこちに書いていました。そのブログで知り合った東大の循環器内科の先生にこの興味深い話をすると、循環器系でも鉄過剰はリスク因子として考えられており関連遺伝子もあると教えてもらいました。当時はのどかな時代です。「この人は天才だな」と思ってメッセージを書けば返事がもらえるし、ペンネームで書いていて実は著名な先生であることも珍しくもなかった。一人「絶対この人は只者ではない」と思った先生がいたんだけど、とうとうお会いする機会がなくて心残りです。うどん先生、どこにいますか。
さて、そんな経緯があって鉄過剰ばかり考えていた自分に契機が訪れたのはいつだったか忘れたんですが、おそらく医者としての役割に関係します。
鉄過剰、つまり脂肪肝、つまりNASH予備群の彼らには症状がありません。無自覚だから怖いのですが、将来の肝癌を予防する、という仕事は実に壮大、しかし、達成感が全くありません。結果が出るのは30年後とか50年後です。肝癌を見つけた瞬間に専門医療機関に送り、帰ってくることはまずないし、自分のモチベーションの維持は大変です。
それに対して一人ひとり患者さんを診る、を繰り返しているとむしろ「鉄不足」はあまりにも人々のQOLを奪っている事に気づきます。そしてそれらはとても軽視されてもいます。私の仕事的にはピロリ菌感染と鉄欠乏は深くリンクしていますし、胃腸疾患はそもそも鉄欠乏と直結した病気が多いのです。しかも鉄補充においては胃腸の副作用が多い。したがって鵜川医院が胃腸を診て、かつ鉄欠乏を診るのは必然ではあります。あまりにも多くの思い出があってとても書ききれません。
同時期、対のようにもう一つブログを書きましたが、鉄のもう一つの側面です。
のどのつまる感じを文献検索しますと、昭和初期にはそれは鉄欠乏だ、と理解されていました。もちろんそれは病態を一方向から見たに過ぎないわけですが、「鉄欠乏からくる様々な神経症状」という流れの一つでしょう。
フェリチンは解釈のしかたに多様性がある指標なので、この数字はどうですか?と質問されても黙るばかりです。文脈により結果は違い、自分がオーダーした場合は即答しますが、それ以外では文脈が明らかになるまで「んーどうでしょう」とお答えします。
生命を、生物の中に起きる化学反応、さらには物理現象として理解することは、物事を一対一で捉える事よりも柔軟な思考を可能にしてくれ、診療中に考える様々な疑問を解決できないまま蓄えておく作業のときにも便利です。
宇宙においては原子が融合していくと最終的には鉄になる、とされています。そんな鉄の粒子1個が酸素を運んで身体に行き渡らせます。それだけでなく色々な酸化酵素の中心に存在し、役割が多彩になっている。結果として生命に必須でありながら、逆の現象も生じさせます。そんな神秘的なことが日々身体では行われている様子をイメージしながら患者さんを日々見つめます。「チ」ではなく「テ」という壮大な物語があったとしても自分は驚きません。
腸
内視鏡医だからあえて言います「便潜血検査は重要」
大腸がんは適切な時期に公平に検査をする社会が実現すれば9割の人々は命を奪われない病気です。けれど便潜血検査の受診率が低く、自覚症状により病院に受診する人が多いので実際は5年生存率が7割程度です。
日本では15万人が毎年大腸がんに罹るのですが、その2割、3万人はもしかすると、適切な時期に診断出来たかも知れない、とフェルミ推定が出来ます。したがって、45歳から毎年便潜血検査を75歳まで受け続ける、というのがもっとも公平な大腸がんの見つけ方です。
でも、
- 45歳はとっくに過ぎてしまった
- 毎年は受けていない
そんな人々が半分以上ですし、
- 真面目に検診を受けていても手遅れになってしまった知人がいる
- 家族歴に大腸がんが多いがそれで十分か
と考える人々もいるでしょう。僕は医者として経験数が多い分、どうしても後者の人々の事を考えてしまいます。理不尽。それは胃がんも乳がんも同じことだけれど、それに寄り添う事が重要な自分の時間だと思っているので、「検診さえ受ければ良い」的な論旨で気楽に文章を書くことはありませんでした。でも検診を受けない人、救われない人のレスキューも大切だけど、検診受診率を上げるほうが社会には貢献します。そういう論旨で文章を書きたいと思います。
現状に目を向けると、外来では「70歳になっても一度も大腸内視鏡検査を受けたことがない」とさらりと言う患者さんは多くいて、これが普通なんだろうなあと社会の実情を感じつつ……。
一度も大腸内視鏡検査を受けたことがない、という人に聞いてみると「45歳から毎年便潜血検査を25年続けています」という人は皆無です。「60歳(65歳)まで受けていました」という人はいます。何も異常がなくても数%が陽性になる検査なので、25年間ずっと陰性を引き続ける確率は非常に低く、多くの人は結果として一度は内視鏡検査を受けることになります。一方、国民健康保険、社会保険家族、退職者、こういう人々は大腸がん検診そのものと疎遠であり、大腸内視鏡検査を受けるチャンスがないという問題があります。
さて、毎年の便潜血検査は先程9割の人を救うことが出来ると書きましたが、計算上、大腸内視鏡検査を10年のうちに2回受けると9割の大腸がん死が予防できる事がわかっています。したがって45ー74歳で便潜血検査を受け損なった場合には、大腸内視鏡検査を受けると追いつくことが出来る、つまりチャンスを公平にすることが出来ます。(伊勢原市では40歳から受けられます)
便潜血検査の受診率を80%に上げれば、検診を受けなかった人のレスキューに使われていた医療リソースを、本来の診療と、検診が通用しない人々のレスキューに使えます。特に45歳〜60歳の国民健康保険、社会保険家族の加入者の受診率を上げる手段が求められています。
具体策ですが、集団検診の場所に容器を持っていくしかなかった伊勢原市の検診方法を、単純に市内の医療機関にいつでも持っていける形にしたら良いんじゃないか、という意見が医師から出されています。確かに有効でしょうから、あとはコストのすり合わせをすれば良いのでしょう。
もう一つ「大腸検査は辛くないことがほとんどだ」というマーケティングが大事でしょう。実際、辛くない検査に変貌しています。その経緯について書いておきましょう。
大腸内視鏡検査について知ろう
鵜川医院の待合室で他の患者さんに「大腸検査は苦しくて嫌ですよ」と話している人がいたので「その言葉は他の方が検査を受けるチャンスを奪う行為ですよ、おやめ下さい」とイエローカードを出しました。「当院での検査で嫌な思いをされたなら謝りますし、次回大丈夫なように精一杯工夫します」と申しますと「先生のところは楽だから良い」と仰います。
一体なんのつもりで大腸検査の悪口を言ったのだろうと考え結局わかりませんでした。天気の話ぐらいのつもりだったのかもしれません。「実は鵜川医院は大丈夫で」という話をするための伏線だったかもしれないのですが、それでもあんまり良い話の展開ではない。世の中全部、内視鏡は良くなっている、と僕は言いたいのだから。
とにかく、そのぐらい大腸検査は苦しいことになっているようですが、自分はちょっと違う環境で育ちました。
私が医師になった1991年当時、上部内視鏡検査の達人である父にとっても大腸内視鏡検査の操作は難しそうでした。しかし「岡本平次先生という素晴らしい名人がいて、彼の操作を見て勉強しているのだ。岡本平次先生は邦夫も知っているだろう、藤田力也先生の教室の先生だよ」と教えてくれました。名前が覚えやすいものですから、すぐに記憶に刻まれました。有名な先生だし、本も読んだと思います。
当時は「いかに自分の大腸内視鏡検査が上手いか」を自慢するのが大変流行しており、学会ではそんな発表ばかりを集めたセッションがありました。しかし全員が岡本先生の技術のアレンジに過ぎません。私は大腸内視鏡を触ったことはありませんでしたが、物理を自らの味方とし、力学的にすべき事をしている岡本先生の挿入方法は合理的で、我々が理解しやすいテクニックへと昇華した業績はすごいなと尊敬しておりました。
岡本先生ご自身はその技術をニューヨークにおられた新谷弘実先生から受け継いだもの、と公言しておられましたが、画像の共有と言えばレクチャースコープしかない時代、新谷弘実先生が検査室で操作している内視鏡が、どういう原理で奥へ奥へと進んでいくのか理解できたのは、引きも切らない見学者のうち岡本平次先生ただ一人。それをデモンストレーションという形で日本国内あるいは国外で普及させたのです。
1997年に米国内視鏡学会の教育セッションで内視鏡の歴史に関する講演がありました。日本人として内視鏡の進歩に貢献したのはまずは大腸内視鏡の新谷弘実先生でしょう。他には肝胆膵の相馬先生か藤田先生が出てくるかな?と思っていました。すると新谷先生と、叔父である須川暢一先生が、イラストで紹介されていて驚きました。なんとなくしか知らなかったのですが須川先生は食道静脈瘤治療の発明に貢献したという歴史に残る業績を持っていたのです。関係ない話ですけれどちょっと自慢です。
新谷ー岡本方式の内視鏡は速く、痛くないのが特徴です。2000年から数年間、私は藤田力也先生が主任教授をしていた昭和大学藤が丘病院にいました。藤が丘病院には岡本先生の他に佐竹儀治先生という、同じく大腸検査が大変お上手な先生が過去に在籍しておられました。そうした伝統のもと、大腸検査の達人がが何人もおられた。
私は午前中上部内視鏡検査をして、午後は非常に上手で美しい大腸内視鏡検査をする神長憲弘先生の隣にずーっとついて、1年か2年、何百例も検査を見ていました。痛くなくスムーズな検査を何百と眼に焼き付けると、痛かったら自分がおかしいのだ、と気付けます。内視鏡は教育に尽きます。良い検査を見て育てば、痛くない検査をするようになるのです。
岡本平次、という名前を知っている内視鏡医は、大腸内視鏡検査は上手くやれば痛くない事がわかっているので信頼して良いです。工藤進英先生だって岡本先生から内視鏡を習ったわけですし。
岡本先生はお元気なので、今でも時々患者さんを紹介します。先生ご自身が書かれた歴史の1ページはこんな感じです。興味ある方は雰囲気を感じ取ってほしいです。
コロノスコピストへのメッセージ - 公式_OHC_homepage
自分が受けたような教育を若手の先生は受けています。注水法、キャップ、二酸化炭素のような、ありとあらゆる「うまくなる装置」も最初から備え付けられていますから、あっという間に上手になります。したがって、最近検査を受けた患者さんたちは「痛くない」と仰る方が多い。それについては良かったですし、安心して受けて下さい。
高い技術をもってしても患者が痛みを感じてしまう事もある検査ですから、「絶対に痛くない」などと公言出来ませんが、下剤も進歩していますし、世界の中では例外的に上手な医師の割合が多い国なので、そのメリットを享受しないのは勿体ないです。
伊勢原市は40歳以上で便潜血検査を受けられます。1月と2月に各1回ずつ、まだ申込みが可能です。若い方はこれから毎年受けることが大事です。
公平な社会の実現のためには、40歳〜74歳で便潜血検査を受けることが推奨されます。一方で、すでに何度も受け損なったという人や、自分は家族歴があってリスクが高いと考える人についてはレスキュー、あるいはサーベイランスのための内視鏡検査を任意で受けることを考慮して下さい。