体力がついてきた / 心アミロイドーシス / エコー / 新薬 / 早期発見
テニスウェアを着て、さっそうと診察室に入ってくる男性がいる。日焼けした肌に、きりりと引き締まった表情。80歳代とはとても思えない若々しさである。椅子に腰掛けると、彼はにこやかにこう言うのだ。
「最近、体力がついてきたように思います」
その言葉を聞くたび、なぜか胸の奥でひっかかる。笑顔はまぶしいほど元気に見えるのに、わざわざ「体力がついた」と口にするところに、何か裏があるように思えるのだ。だから私は、彼が来院するたびに、つい丁寧に診察してしまう。主治医は別にいるのに肺炎球菌ワクチンなどを当院で受けているのも、そんな姿勢の表れなのかもしれない。
ある日のこと、腹部エコーで肝臓や大動脈を確認しようとプローブを当てた。その瞬間、ふと画面に心臓が映り込んだ。いつもなら画面の片隅にかすかに見えるだけの心臓が、その日はやけにシャープに映り、鮮明だった。脂肪の少ない体格と、呼吸の巧みさが重なって、偶然にしては出来すぎたほど美しい画像が得られた。しかし、その心臓の壁の厚みはどう見ても正常ではなかった。

「肥大型心筋症ではないか?」。嫌な予感が背中を走る。もしそうならば、稀少で厄介な難病だ。血圧がいつも正常で、主治医が他にいることで、心臓を調べたことがなかったな、と自省した。だが一方で、「まさか」という思いもある。あれほど活動的で、毎週のようにテニスを楽しみ、待合室では誰かに「久しぶり!」と声をかけられている。そんな人が難病に冒されているだろうか。焦りつつ心臓の音を聞いてみる。しかし、徐脈気味である故か、なんの雑音も聞こえない。
確かめるために心電図を撮った。ところが心肥大は認められない。レントゲン、大丈夫だ。スポーツ心臓っぽくもない。私の直感は間違いだったのか。いや、それでもあの映像は印象的だ。「ならばアミロイドーシス? 認めたくないなあ……。だいいち不整脈も心不全もないし」――心の中でもやっとした感情が渦を巻く。迷わず基幹病院に心エコーを依頼することにした。
ほどなくして返ってきた診断は、やはり心アミロイドーシス疑いだった。確定診断のためさらに高次医療機関へ紹介する。心アミロイドーシスとは、心筋にアミロイド蛋白が沈着し、硬く動きが悪くなる病気。やがて心不全や不整脈を引き起こし、運動能力を失わせる。診断からの余命は長くなく、治療の選択肢も少ない。稀少疾患であり、多くは診断に時間がかかる。が、今回は比較的早期に発見できた。
彼を病院に送り出した直後のことだ。机の上に一通のダイレクトメールが届いていた。製薬メーカーからで、内容はアミロイドーシスの新薬に関するものだった。最近登場したトランスサイレチン阻害薬。適応には遺伝子検査が必要だが、希望を抱かせる情報だった。私は思わず首をひねる。まるでこの患者のために送られてきたかのようなタイミングだったからだ。「やはり自分も“もってる”のかもしれない」と心の中でつぶやいた。
2か月後、再び彼に会った。驚いたことに、相変わらずテニスを続けているという。診察室に現れた姿は、以前と変わらぬ精悍さに満ちていた。
「心臓の組織をとるので、ちょっと大変ですね」と淡々と話す。
さらに「十分生きたし、自分の経過が医学に役立てば」と穏やかに言った。その言葉には、恐怖や不安はなく、むしろ静かな誇りがあった。
思えば、心窩部のエコーで異常を捉えられたのは、彼が脂肪の少ない体格で、呼吸のリズムも上手だったからだ。こちらの鵜の目と、彼の体質とが偶然重なり合い、診断に至った。だがそれだけではない。彼の「体力がついてきたように思います」という口癖に違和感を覚え、「丁寧に診よう」と思い続けた姿勢が、この診断につながったのだろう。
ダイレクトメールで学んだ直後、ある医師とこの病気の話になった。
「アミロイドーシスの早期発見? 意味ないだろう」
彼はあっさりと言い切った。たしかに、治療法はまだ限られているし、早期発見が必ずしも延命につながるとは言えない。それは正論かもしれない。しかし私は、どうしても頷けなかった。あのテニスウェアの男性の姿や、この病気で亡くなった友人の顔が頭に浮かんだからだ。
80歳を超えてなおアクティブに生きる人が、稀少疾患と出会い、その経験を「医学に役立てたい」と受け止めている。その姿を見て「意味ない」とは言えない。むしろ、早期発見によって彼が新薬の可能性に間に合ったことは、十分に意味を持つのではないか。
「最近、体力がついてきたように思います」。その何気ない口癖が、私の診察の背中を押した。医師の直感と、患者のもっている強さ、それらが重なり合って導かれた診断。そして偶然のように舞い込んだ新薬の情報。稀少疾患の発見には意味があるのか、ないのか。答えは一つではないのかもしれない。
それでも私は、今後も2ヶ月に1度、「意味はある」と思うんじゃなかろうか。次回の外来時には遺伝子検査の結果が出ているだろう。